「教育の自由とは何かー10・23通達批判を通してー」



                  
    法政大学文学部史学科  坂本正通



はじめに 

                 

 戦前の教育に対する反省から戦後の民主主義教育は始まった。しかし教育を国家管理の下に置こうとする動きも同時に始まっていた。

「国旗、国歌」については国民のあいだに様々な解釈があるにも関わらず、東京都教育委員会(以下、都教委)は20031023日、「10・23通達」により「卒、入学式において国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ。違反者は処分する」[1]と 国旗掲揚、国歌斉唱の強制を行った。

これは特定のイデオロギーを学校現場に押し付けるものであり、教育の国家管理の突出した現れであると考えられる。

通達は憲法19条(思想、良心の自由)、教育基本法(以下、教育基本法(旧))10条(行政の不当介入の禁止)に違反している、そのような違法な通達には従えないとの想いから、都立高校だけで171名の教職員が2004年3月の卒業式で国歌斉唱時に起立せず、戒告処分を受け、再雇用職員は解雇された。

 それに先立ち、20041月、教職員有志が「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」いわゆる「予防訴訟」を東京地方裁判所(以下、東京地裁)に提訴し、2006921日、東京地裁は9・21難波判決(難波孝一裁判長)で「10・23通達は教育基本法(旧)10条に違反、教職員は思想良心の自由に基づき、むしろ拒否する自由を有している、国歌斉唱の義務なし、処分は不法で取り消せ」との判決を出した。

 しかし、都教委はこの判決を全く無視し、各校長に「従来通りの職務命令をだすように」指示し処分を繰り返して来た。そして「通達」以降の処分者は総数423[2]に達する状況が続いている。

 10・23通達、それに基づく処分は権力を持つ者の横暴である。東京都の権力を行使できる地位にある者が、その権力を濫用し「個人的で主観的な価値観」を都立学校教職員、ひいては生徒に押し付けている事態なのである。

10・23通達は国民の精神の自由を侵害し、戦前、戦中の国家主義的な教育に逆戻りさせる違法なものである。「一つの偏向した価値観を公教育の場で押し付ける」、「自分達に異議を唱える人間を排除していく」これは民主主義の破壊であると考えられる。

憲法19条で示された「思想、良心の自由」は侵すことのできない権利であり違法な「通達」によって制約されるものではない。

日本は敗戦によりポツダム宣言を受諾し、民主主義教育に大きく転換する。

文部省はGHQ(連合軍総司令部)の強い指導のもと「新日本建設ノ教育方針」を発表し、19473月、教育基本法(旧)を制定し、国家主義を排除、軍国主義を払拭した。

しかし政治指導者たちの変革意識は希薄で、教育、文化の各領域での戦争責任が徹底して追求されることなく、曖昧なまま新憲法のもと教育が始まった。人間の尊厳を根底にすえるというよりも敗れた「国家」再建のための教育刷新という観点を優先させるものであった。

このような状況の中で戦後教育の二つの大きな流れが出来る。一つは戦前の流れを汲む国権論的な発想による国民教化の考え方であり、教育を管理するのは政府=国家である、国家にとっての人材育成を目的とする国家主義的な教育。一つは教育の主体は国民であり、個人の人格の完成を目指して教育は実施されるべきであるとする民主主義的な教育である。

前者においては、教育は国家に役立つ「臣民を育成する」という目的が貫徹され、教育は一人ひとりの能力の発掘を目的とするものでなく、画一的な価値と一定の認識内容を押し付けるものである。国家への献身、人を国益の対象として扱い、一人ひとりを人間として育てるものではない。

後者においては、教育の主体は国民であり、個人の人格の完成を目指して教育は実施されるべきである。教育は人間性の開発をめざし民主的平和的な国家及び社会の形成者を育成する。社会に対する科学的認識を育て、さらに進んで社会を実践的に変革していく事が重要だと考える。一人ひとりの子どもの潜在能力をほりおこし、子どもの自発性を尊重して、その子ども自身による自己の能力の発見、子どもの意欲的な学習を進めることが必要であると考える。

教育の目的は一人ひとりの良心を育てるものである。その人なりの良心による自己啓発を助けるもの「人間の内面的な価値に関する文化的な営み」であり、すべての人々の有する学習への権利を充足するものであると考える。

この論稿において、第一章から第四章では、どのような状況で何が問題となっているのか、第五章から第七章では、過去においてどのような議論がなされて来たのかを述べ、第八章では、教育とは何か、教育の主体は誰かについて明らかにし 、「10・23通達」が戦後教育の歴史の中で突出して不当なものであり、違憲、違法なものであることを述べたい。

考察にあたっては、国立国会図書館検索システムによる『帝国議会議事速記録』、『国会議事録』、村井実訳『アメリカ教育使節団報告書』講談社学術文庫、中谷 彪著 『教育基本法の世界―教育基本法の精神と改正論批判』渓水社、『予防訴訟第一審資料集』(国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)、予防訴訟及び関連裁判の公判における憲法学者、渋谷秀樹氏(立教大学大学院法務研究科教授)、教育学者、梅原利夫氏(和光大学教授)、大田 堯氏(東京大学名誉教授)の意見書を主に利用する。



 

第一章       10・23通達 

 第一節 10・23通達とは何か

 

 都教委は20031023日、『入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)』を発した。この「10・23通達」は都立学校の各校長に対し、入学式、卒業式等の式典を別紙『入学式、卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針』[3]の行うよう求めるものであり、「教職員が通達に従わない場合は服務上の責任を問われることを教職員に周知すること」を内容とするものである。そして、別紙「実施指針」は式典において都立学校の各校長の裁量が認められる余地がない一義的な内容を詳細に定めたものであって、この実施指針に定められた方法によって国旗掲揚、国歌斉唱を実施するよう強制するものである

 
第二節 10・23通達のねらい

 

都教委は国旗、国歌や日の丸、君が代問題は、それ自体が教育上の課題として重要だとは考えていない。いわば、学校現場に国家主義イデオロギーを注入する道具であり、石原都政以前から推し進められてきた管理体制整備の達成度のバロメータとして捉えている。

日の丸、君が代の強制を通して職務命令体制を定着させ、教職員、児童・生徒を服従させる支配装置と考えている。

国家主義イデオロギーを教育現場で生徒たちに注入し、それに異議を申し立てる「問題教師」をあぶり出し、孤立させ、押さえつけることで管理の体制を確立しょうというものである。そこには教育に対する愛情もなければ、学校を教師と生徒との人格的な触れ合いの場とする視点もない。自分たちが決めたことに対し有無を言わさず上意下達で命令を貫徹する場とすることがねらいである。

 

第三節 10・23通達の問題点

 

都教委は都立学校の各校長に対し、10・23通達に基づく、各職務命令につき、その内 容、発令の方法、時期につき具体的かつ詳細な指示および指導を行い、さらに職務命令に従わなかった教職員の現認方法、さらに都教委への報告の方法にいたるまで詳細な指示及び指導を行った。各校長に対し職務命令の発令を強制するものである。

10・23通達の内容、および都教委の都立学校各校長に対する[一連の指導は教育現場における創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地を十分に残すものではなく、一方的な一定の論理や観念を生徒に教え込むことを強制するものである。教育における機会均等の確保と一定の水準維持という目的のために認められる、学習指導要領の全国的な大綱的基準としての性格」[4]を明らかに逸脱している。

 

 

第二章       戦後教育の動向 

 

第一節       教育基本法の制定

 

 1945815日、日本国政府の「ポツダム宣言」の受諾という形で戦争は終結した。

連合国軍は日本国政府に無条件降伏を要求すると共に、非軍国主義化、民主化、基本的人権の尊重の確立を求めた。しかし、日本国政府の関心はあくまで「国体護持」であった。このことは814日に発せられた「終戦の詔書」の中にも、814日に出した「文部省訓令第5号」で、さらに915日に出した「新日本建設ノ教育方針」においても「今後の教育ハ益々国体の護持に務ムル」と説いていることで理解できる。しかし、こうした日本政府、文部省の態度が許されるものではなかった。

 1011日、マッカーサー連合国最高司令官は「ポツダム宣言」の達成のため「5つの改革」を指示した。そのうちの一つが教育の自由主義化であった。軍国主義的超国家主義的教育の排除の施策が矢継ぎ早に実施されていった。

19463月末にアメリカ教育使節団[5]がマッカーサーあて全6章、約2万字からなる「報告書」を提出し、戦前日本の教育の問題点を指摘すると共に戦後日本の教育改革の視点と方向を示唆した。アメリカ教育使節団と共に討議を行なった、日本側教育家委員会が拡大改組して教育刷新委員会[6]が設立され教育刷新会議において「教育根本法」=教育基本法の骨子が審議された。

教育基本法構想が企図される中で文部大臣、田中耕太郎は「教育の理念、目的として真理の探究と人格の完成」、「民主的、文化的な国家及び社会の成員としての責任を果たすことができる心身ともに健全な国民を育成することを」予定している、戦前の軍国主義的な超国家主義的教育方針については直接に批判せず、新たな教育方針を掲げるとともに間接的に排除していこうとしている旨を述べた。

 1947319日の第92回帝国議会貴族院、教育基本法案特別委員会で国務大臣高橋誠一郎の提案理由に対し、荒川文六は「日本国民として国家社会に対して犠牲、献身的な精神と言うものが、どうも完璧に現れていない、奉仕的精神に満ちた国民を養って行くと修正したいと考えている」と述べ、佐々木惣一は「教育勅語との関係、教育基本法と言うものが出来れば教育勅語はどう言う風に取り扱われるべきものになるか、教育基本法が出来れば、教育勅語は存続することが出来るものか否か」、「教育の主体は一体何ものであるのか国家が主体であるかどうか学校教育と言うものは本来国家がすべきもの、国家を主体とする活動であるかどうか」、「教育の目的なんと言うことを法律で決めることに、私は無理だと思う」と述べた。そして教育勅語の取り扱いについて、文部省当局者は相も変わらず教育勅語擁護論を繰り返していた。文部大臣高橋誠一郎は「・・・法律の形を以って教育本来の目的其の他を規定致しますことは極めて必要なことではないかと考えたのであります」、「教育基本法の中に教育の根本理念を盛ろう斯う云うことになった」と答弁した。

 312日、教育基本法案が第92回帝国議会衆議院に政府から提出され4日間の審議を経て、原案通り可決された。

 教育基本法は「軍国主義的又は極端な国家主義的傾向をとるに至った戦前の教育を反省して、人類普遍の価値ともいうべき平和と民主主義と個人の尊厳その他を、その教育的価値として掲げたということである。教育勅語の否定、批判の上に制定された」。[7]

 1947331日、教育基本法が公布施行された。「教育の目的は、あらゆる機会とあらゆる場とを通じて実現されなければならない」、「この目的を達成するためには、教育の自律性と学問の自由を尊重しなければならない。」

「民主的で文化的な国家」の建設と「世界の平和と人類の福祉」への貢献という憲法の理想の実現は「根本において教育の力に待つべきもの」であることを謳い、教育の目的が「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」を掲げた。学校教育に関しては教育が「不当な支配に服すことなく、国民全体に対して直接に責任をもって行はれるべきもの」だと明記した。

 

第二節       国旗、国歌法の制定

 

 1999629日、第145回衆議院本会議で国務大臣、野中広務より国旗及び国歌に関する法案の趣旨説明があった。

「成文法にその根拠を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに法案を提出する」、それに対し民主党の伊藤英成は「日本の国旗、国歌という極めて重いテーマを論ずるには余りにも粗野で浮薄な対応である」、「何故、会期末ぎりぎりに、国家の根本にかかわる重要法案を軽々しく提出したのか」と質問し、日本共産党の志位和夫は「国民的討議が十分に保障されることが必要」、「今、国会中のわずかな期間に法制化を強行しょうとする態度は国民的討論を封殺するものである」と十分な論議を通す必要があると述べた。公明党の冬柴鉄三は「「君」とは天皇を意味し、敗戦前の軍国主義を連想するものではないか、戦中、戦前の暗い、許すべからざる事実への連想から一部に強い拒否感がある」、日本共産党の志位和夫は「日の丸、君が代に対して、少なくとも国民が抵抗感を持ち同意できないという気持を持っていることは否定できない事実である」、「日の丸、君が代が戦後政治の原点である侵略戦争への反省、国民主権という憲法の大原則と相容れない問題点を持っているものである」、「今回の法制化は教育現場への強制を一層強めることを目的とするのか」、「今我が国の教育現場で横行していることは、凡そ、前近代的な軍国主義時代の野蛮な遺物である」、「義務付けが憲法19条の内心の自由に抵触する恐れがある、どのような形であれ思想良心の自由など、人間の内面の自由に介入できないことは、近代公教育の原理であり教育基本法の原則である」と述べた。社会民主党の中西績介は「君が代について戦前、大日本帝国憲法のもとで主権者たる天皇をたたえる歌として、我が国はもちろん侵略や植民地支配の中でアジアの人々に強制してきた歴史的事実がある以上、主権在民、平和主義をうたった日本国憲法のもとでふさわしいものではない」、「現在、学習指導要領によって強制されている日の丸掲揚、君が代斉唱は、明らかに憲法が保障する内心の自由や思想良心の精神的な自由に抵触するものであると考える、国民的合意を得るまで慎重に検討すべきである」と戦争とのかかわり学校現場への強制について述べた。  

それについて、内閣総理大臣、小渕恵三は「国旗の掲揚等に関して義務付を行うようなことは考えていない。したがって現行の運用に変更が生ずることとはならないと考えている。国民の生活に何らの影響や変化が生じることとはならないと考えている、学校教育における国旗、国歌の指導に関する取り扱いが変わるものではないと考えている」、国務大臣、有馬朗人は「内心、すなわち物の考え方ないし見方について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味となると解されている」、国務大臣、野中広務は「国旗国歌についての指導は児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から国民として必要な基礎的基本的な内容を身につけることを目的として行われるものであり、児童生徒の思想良心を制約しようとするものではない」以上の論議がなされ、19998月に「国旗、国歌法」が制定された。これは第一に、国旗は日章旗とする、第二に、国歌は君が代とする、という法律である。

 19859月に「日の丸、君が代」指導の徹底通知が出された。それ以降の10年間に全国の教育行政当局は約860人以上に及ぶ教職員に対し厳重注意、訓告を含めた懲戒処分を行ってきた。そして、こうした行政処分は違法であるとし、裁判所への提訴が行われ裁判が続けられている。そこでの問題点は「国内法において、一切の法律が存在しないにも関わらず、学習指導要領において、国旗、国歌と明記して、その掲揚、起立斉唱を義務付け強制しようとしているが、法律の根拠なしにそのようなことが出来る理由は何か」、「日の丸、君が代の学校での強制は思想良心の自由、信教の自由を侵害するとみなされる」などである。それに対する反論は「日の丸、君が代は国民の中に定着してきており、慣習法上の根拠を有する」、「自国の国旗、国歌を尊重する態度の形成を学校教育の教育課題とするのは当然である」制定当時、「国旗、国歌を学校現場の教職員、さらに児童生徒に強制するものではないか」との指摘に、強制するものではないと答弁を繰り返してきたが、国旗、国歌法の意味するものは国旗、国歌の掲揚、斉唱指導の学習指導要領による義務付けに対して、その根拠法として強制に根拠を与えるものである。国旗、国歌法制定後、文部省は19999月に全国の県知事や教育長などに国旗、国歌の指導についての通知をだした。教育現場では同法制定を機に卒、入学式で日の丸の掲揚、君が代の斉唱の実施が強化されはじめた。

国旗、国歌法の成立により国家権力による人権の抑圧、民衆の統制管理が一層強化されるものである。

 

第三節       教育基本法の改正

 

「真理と平和を希求する人間の育成」を掲げた教育基本法について、制定者の中心にいた南原繁氏(東大総長、教育刷新委員会福委員長)は新しく定められた教育理念にいささかの誤りもない。今後いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないだろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しいと力強く述べている。

しかし、制定時、法案作成過程における教育刷新委員会、法案審議が行われた枢密院及び第92回帝国議会での論議の中で佐々木惣一は「教育の目的なんと言うことを法律で決めることは、私は無理だと思う」と述べ、田中耕太郎は「もともと国家が教育の価値を法で定めるのは馴染まないし、あってはならない」と主張した。

戦後の初期、占領終結前後からいち早く「愛国心」教育の提唱が為政者によって始まり、

19511114日、天野貞祐文相は「国民実践要項」の大綱を発表し道徳教育の必要性を強調し愛国心の教育、伝統、文化の重視を説いた。

1960年代に入ると、「マンパワー形成のための教育計画」[8]、教育投資論的教育観の提唱という時代的背景を考慮して論じられる。経済界の要求から産業構造に見合う労働力の確保という観点から、人材の選別と配分の機関として教育制度を再編することを必要とし学校制度の多様化と能力と適性に応じた教育を要求される。

2003320日、中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい教育基本法の改正」を提言した。教育基本法は「制定から半世紀以上を経て」いるから「教育全般について様々な問題が生じている」と答申している。

200612月、慎重審議を求める多数の声を無視して強行採決された。

新教育基本法の問題点は「公共の精神」「伝統」「道徳心」「愛国心」などの道徳規範が教育の目標になり、国家による教育への介入を抑える法律から国家によって国民を縛る法律に変えられたと言える。

「学校は「知、徳、体」を行う場とされ「問題行動児」に対しては厳格な規律主義で対処して排除し、逸脱に対しては学校秩序への順応を強制し、教職員については国公私の区別を無くし使命感を担う特定の身分として位置付けている。愛国心を持つ日本人の育成を目的とする、学校、家庭、地域社会三者の「教育共同体」言い換えれば地域ぐるみで子どもを監視し育成する翼賛、総動員体制と言うべきものだ」[9]。「才能」原理による人間育成論は教育による選別と階層化を正当化するものであり、不平等の制度化をあらためて実体化させるものである。国家権力による人権の抑圧、民衆の統制管理がいっそう強化されていくことは間違いない。 

 新教育基本法の具体化として、学習指導要領が20083月に改定され、「愛国心」の押し付けをはじめとする国家主義的な内容が盛り込まれた。

一人ひとりの子どもの人格の完成をめざし、個人の尊厳を大切にする「子どものため」の教育から「国家のため」の教育に大転換するものである。新学習指導要領はこれを学校現場や教科書に徹底することをねらっている。

それでは、戦後60年の教育基本法体制が理想的なものであったかと問うと、否と答える。「戦後日本の公教育は資本主義体制に由来する能力主義に基づいており、それは子どもたちを差別し、選別するような教育、学力や偏差値を競わせるような序列主義的な学校社会を作ってきた。階層化された社会の再生産と人々を産業構造に応ずる人材として配分し、子どもたちを職業配置しての社会機能を担う学校の現実を作り出してきた」[10]ことは否定できない。しかし、戦後の教育基本法は教育を普及させ、教育における平等という点では、その内実に多くの問題を内包しつつも自由を探求すべき一定の与件を確保してきた。人権として教育を保障する法体系として教育の機会均等化、教育の普及を推し進めたことは事実として認めなければならない。

 

 

第三章       東京都の教育改革 

 

第一節      教育改革がもたらしたもの

 

石原都知事は「命がけで憲法を破る」[11]と豪語し、「心の東京革命」[12]を唱えた。それに基づいて、都教委は全面的な教育の再編を進めてきた。

新自由主義、市場原理主義やテスト学力、進学実績を優先する成果主義による、学校の差別化と生徒の選別、この10年の間に進学重点校、中高一貫校、総合高校、エンカレッジスクール、チャレンジスクール、普通科コース制などが作られ学校間に格差が持ち込まれ、一方、約100校あった夜間定時制高校が統廃合の名のもとに半数近くまで減らされた。

教育改革の名の下で、教育全般にわたり、国家主義教育の注入へエスカレートして来た。1998年、都教委は「学校管理運営規則」の改定を行い、職員会議は校長の「補助機関」とされ、そして校長、教頭、主任など一部の教職員による企画調整会議が設置され、さらに主幹制度が導入された。従来の合意による教育活動から校長を頂点とする上意下達の学校運営に変えられた。一方的に知らないうちに現場の意向を無視して物事が決められて行く、その結果、教職員間の意思疎通がうまくなされず、教育の現場に混乱が生じている。

2000年度から教職員の人事考課制度が導入された。この人事考課の問題点は客観的に教員個人の評価をおこなうことが極めて難しいことである。結局、校長の恣意的な評価にならざるを得ない。教育は教職員全体が協力しあって行うものである、しかしこの業績評価は個々人に対して行うものであり、本来教職員が集団で子どもに対処し、協力しあう学校づくり学年づくりを行うものが、教職員の協働性の基盤を掘り崩すことにより、教育を破壊している。「士気の昂揚」というものが導入の名目であったが、懸念されたように士気や意欲は低下している。

2006年度、「学校経営適正化通知」[13]により挙手採決を禁止。都立学校では教職員がものも言えない雰囲気が蔓延して、教職員の自由闊達な意見交換、共通理解に基づく教育活動が阻害され、職員会議は一方的な指示の伝達場へと変貌した。職員会議などで、意見を述べても「ご意見として伺っておきます」の一言で全てが終えられる。批判的な発言をするだけで「C,D評価」や強制異動の対象とされる。
2009年に主任教諭制度が導入され、さらにピラミット型の職場秩序が強化され、上意下達が容易になり、階層化され相互管理体制に組み込まれている。組織のトータルな活力や業績が低下している。
教育課程審議会の三浦朱門氏は「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力をできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人にひとりでもいい。やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。それがゆとり教育の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどくいっただけの話だ。・・・だから、教えない。劣っていると判断された子どもは積極的に無知に育てる」[14]と言っている。

教育は君のため、国のために滅私奉公する、忠良なる国民を育成する。振りわけ、一部のエリートと従順な国民の二分化することを狙っている。「私はどうせだめだから」、と諦めさせ無権利、低賃金でも我慢する国民にしようとしている。

学校選択性の導入や二学期制、中高一貫教育、自治体独自の一斉学力テスト、習熟度別授業や小学校の英語授業などが充分な検討もされずに押し付けられている。

トップダウン式にノーと言わせない「石原流教育改革」によって、大学受験競争においては私学に劣勢を続けた都立高校の地盤沈下に歯止めはつけられたが、「エリート校」と「非エリート校」の二極分化が一層明確に進む結果となった。

 

 

第二節      教職員の動向

 

 「10・23通達」が発令され、従来、一貫して日の丸、君が代は侵略戦争の象徴である、教え子を二度と戦場に送るなと反対して来た、東京都高等学校教職員組合(以下、都高教)執行部は、組織防衛のため、処分を避ける名目で「ひとまず引け、起立、斉唱せよ」との指示をだす。

組合加入の教職員が動揺する中で、大量の不起立者がでる事態となる。多くの組合加入の教職員が都高教執行部の指示に従った。民主主義と言いつつ、日の丸、君が代強制反対を声高にあげていた教員が生活のためか、ものを言わなくなった。

200312月7日、都立日比谷高校の星陵会館で「教育を壊すな!市民と教職員の12・7大集会」を開き、東京の「教育正常化」攻撃反対、日の丸、君が代強制反対、教育基本法改正反対の意思表明をした。

都高教の動きとは裏腹に、教職員有志によって、国歌斉唱義務がないことの確認を、処分を受ける前に予防的に裁判所に求める行政訴訟を東京地裁に提訴した。処分を受けた教師たちは、その処分を争って東京都人事委員会に審査請求を行い、現在は東京高等裁判所(以下、東京高裁)で訴訟が続けられている。

解雇された教師たちは、解雇は無効であると東京地裁に地位確認請求訴訟を提起している。さらに「服務事故再発防止研修」に対しては東京地裁に執行停止の申立がなされた。2004年7月23日、東京地裁決定(須藤典明裁判長)で申立は却下されたものの「何度も繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするのは、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るもの」は「違法性の問題が生じる可能性がある」と一定の歯止めをかける判断を示すものである。

 

第三節 教育現場の荒廃 

 

教育の実情に合わない、都の施策は教職員を多忙にし疲弊させている。定年前の早期退職、新規採用教員の中途退職や教職員の精神疾患による休職[15]が増え続けている。

 学校内に強固な縦型社会が出現する結果となって、相互監視によって教師の自由な人間関係を引き裂き、職員室から「自由」が急速に失われている。

 校長の恣意的な業績評価、努力と評価のギャツプで、いくら一生懸命がんばっても評価されない、ほどほどに仕事をするか、校長に取り入って上手くやればよいと考える教員が増え「士気が低下」している。

 文書提出など、本来の教育と無関係な仕事が急増し、教員はますます多忙になり、生徒との関係を濃密にし授業の進め方を工夫する余裕が持てなくなっている。教職に対する使命感と誇りと情熱がもてなくなって来ている。


 

第四章 予防訴訟「日の丸・君が代斉唱義務不存在確認訴訟」提訴 

 

第一節      予防訴訟とは

 

行政訴訟は不利益処分が行われた後にその撤回を求めて起こされる。原告らの不起立、不斉唱、不伴奏は苛酷な処分の対象とされ、回復しがたい重大な損害は既に生じている。処分が下されてからでは遅いと処分が行われる前に事前の救済を求めたのが予防訴訟である。401名の都立学校教職員が原告となり、都教委と東京都を被告として、学校行事において「日の丸、君が代」の強制に服する義務のないことの確認である。

その中心的な争点は教育委員会や校長が教職員に対して「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」と命令ができるか否かということである。都教委が発した、入学式、卒業式などの学校行事において日の丸、君が代を強制する「10・23通達」の違憲、違法をめぐる裁判である。

恐怖と恫喝で「日の丸、君が代」を強制し、教育の自由を圧殺してしまう、異常な東京の教育を再び都民の手に取り戻し、教育の良心を守り抜くための闘いである。

 

第二節 予防訴訟のねらい

 

 教育は子どもの成長する力を引き出し、人格の完成を支えていくことによって実現されていくものです。ですから特定の思想や態度を一方的に教え込むものではない。

「教育の自由」がおかされている事実を裁判所に認めてもらうことをねらいとしている。

最終的に、憲法19条と23条、26条にもとづく「思想、良心の自由」と「教育の自由」の保障を勝ち取ることが目的です。

 

第三節 予防訴訟の根拠

 

 学習指導要領は1947年にはじめてつくられた時には「試案」とされ、教員の教育実践の参考にするものであった。ところが政府、文部省は1950年代半ばから戦後の教育の民主化を転換して、教育、教科書の統制をはじめた。19583月に「道徳教育実施要項」を通知、同年10月に学習指導要領を改訂し、これを官報に告示し「法律的な拘束力がある」と主張しはじめた。しかし1976年、最高裁判所大法廷の旭川学力テスト事件の判決では学習指導要領は大綱的な基準であるとし、学習指導要領によって教育の細部まで規制するのは違法とした。

10・23通達に基づく起立、斉唱、ピアノ伴奏の職務命令は、教職員それぞれの思想、良心を侵害する。その思想、良心を防衛するために、やむなく不起立、不斉唱、不伴奏という極めて抑制的で受動的な不作為は自己の思想、良心の自由の保障に不可欠な外部的表出行為として、憲法19条の絶対的な保障対象とされるべきものである。

 

 

第五章    教育についての考察                

 

第一節      戦前の教育

 

子どもや教師はあくまで国家目的達成のための客体に過ぎず、自発性と主体性を持った民衆教育の形成という発想は戦前の教育には存在しなかった。

近代教育制度の始まりは、1872年の「学制」に見いだせる。この序文の「学制布告書」の中に学制公布の趣旨がよく表れている。学問は「人々自ら其身を経て其産を治め其業を昌」にするためにある。学問の内容は「日用常行言語書算を初め」日常生活に役立つものでなければならない。学問は「立身出世の財本で、しかも治産昌業に役に立つ」という同文書は学問と教育を個人の利益のために活用するという装いを持っているところから功利主義的で個人主義的な教育的価値を掲げている。しかし、教育は国力の発展と繁栄のための働きかけで、そこに個人の尊重や尊厳といった自覚は見られなかった。

1885年に内閣制度が発足し、1889年に「大日本帝国憲法」が公布され、国民道徳の確立が待たれることになった。これに応じて1890年に「教育勅語」が発令されることになった。

教育勅語は、「全文315文字から成っている。その内容構成は、まずわが国の教育の淵源が天皇の徳化と臣民の忠孝を基盤とする国体にあると述べ、次に臣民の遵守すべき14の徳目を列挙し、最後にこれらの徳目の普遍性を強調している。

徳目の中心が「常に国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦暖急アレハ義勇公二報シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」にあり天皇制国家に命を捧げることを強制するものであった。

教育勅語の基本的性格は軍国主義的超国家主義的教育の推進であり、「忠良ノ臣民」の育成であった。[16]

18914月に天皇、皇后両陛下の御影とともに、「教育勅語」の謄本の奉置方の訓令が発せられ、続いて6月に「小学校祝日大祭日儀式規程」が制定された。

明治憲法下では主権者天皇が臣民を教育する権利を持ち臣民は兵役、納税と言う義務の一つとして教育を受ける義務を負っていた。臣民に教育を受ける義務を課し教育勅語を強制、国定教科書で忠君愛国、滅私奉公を教え込んだのも「天皇の教育の自由」と言ってよいだろう。

 大学から小学校までのすべてが国家目的に従属させられ、国家への献身、親への孝、天皇への忠等に対して批判を加えることは許されなかった。このように国家目的に従属する教育は必然的に国家施策に少しでも反する要素のある教育活動を徹底的に弾圧した。

1935年「教学刷新評議会」が設置され、小学校から大学にいたるまで「皇国ノ道ニ則」って教学一体の教育体制が敷かれ、祭礼と政治とが根本において一体不可分であることが強調され、学校を「国体二基ク修練ノ施設」へ改造すべきである、知識人に浸透した西洋思想、さらにその根底にあるのは個人主義であるとして、その排除を求めるようになる。

 強く国によって統制され、その統制の結果、国民の考え方が方向づけられ、その方向付けの軸になったのは「忠君愛国」を中心とした国家への忠誠であった。

 

第二節      戦後の教育

 

戦前の軍国主義的あるいは超国家主義的な教育に対する反省が、戦後の教育改革の背景にある。戦後の教育を考える時、戦前の教育勅語を頂点とする天皇制教育体制に対する痛烈な反省のうえに、現在の憲法、教育基本法体制が打ち立てられた歴史的意義を踏まえる必要がある。

ポッダム宣言の受諾により無条件降伏した後も、旧日本の支配層はあくまで天皇制を中心とした教育を維持しようとし、19459月に発した、「新日本建設の教育方針」においてなお、「国体護持」が謳われていた。

教育基本は10条において教育が「不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負う」との条項を置いた。戦後、教育改革により、子ども、親、教師らの教育の自由を基礎とする新しい教育の時代が開始された。このように、国民の権利を保障する義務を国家が負うこと、教育を受けることが国民の基本的人権の一つとして確認された。

「戦後教育は自由な雰囲気のもとで創造性豊な子どもをどう育てるか、同時に真理を愛し、正義を愛する、平和を希求する人間をどう育てるか」[17]が課題となった。

1950年の朝鮮戦争によって、アメリカの対日政策に変化がおき、1953年、池田、ロバートソン会談において、日本の「防衛力の漸増方針」が決定された。

1956年に新教育委員会法が強行採決され教育委員の公選制が任命制に変わった。

教育の右旋回にともない「教科書調査官制度」が発足し村尾次郎が調査役に就任、検定強化の機構が拡充され、皇国史観の復活をめざした右偏向の検定が行われた。

1958年学習指導要領が変わり、文部省は学習指導要領に法的な拘束力があると主張、教科書検定制度の性格も大きく変わり思想の統制、祖国の歴史の重要な分野に全く触れない事実をおおい隠すような検定が行われた。

「検定の実態を明らかにし、戦後の憲法、教育基本法の実現を目指す教育が政治的な力によって大きく歪められようとしていること、さらにこの検定により、国民の思想、良心の自由、真実を知る権利が侵されていることに抗議しなければならない」[18]1965年、検定の違法について家永三郎が提訴(第一次訴訟)、1967年に検定の不合格処分取消を求める行政訴訟(第二次訴訟)を提訴した。1970年、東京地裁杉本判決で検定は憲法26条の教育を受ける権利、憲法23条の学問の自由に反し、日本国憲法の禁止する「検閲」に等しい、国民の教育権を認め、国家の教育権を斥ける論旨を展開した。被告側控訴による第二審でも1975年畦上判決で検定の実態をみると一貫性に欠いており検定の実態が違法であるとの判決が下された。国が教育の内容に介入することは基本的に許されない、国家は人間の内面的価値に中立であるべきだとの原理を提示した。

1976年、旭川学テ最高裁判決で「子どもの学習権を中心にすえ、それを軸に教育というものは子どもにかかわるすべての人が責任と権限を持っている」、教育の右旋回に対して子どもの学習する権利が大切との判断を下した。

 

第三節 国家主義思想とは

 

明治維新以降、イギリス流の啓蒙思想、フランス流の民権思想が移入される。明治中期になって、極端な欧化、西洋崇拝に対する反動として日本の政治、文化、民族的伝統を重んじる国粋、国家主義思想が形成される。明治憲法体制成立後、日清、日露戦争を経過すると共に国家権力の拡大を図り、「国家は個人や国家内のあらゆる社会集団より絶対的に優位する」と主張する政治思想が現われる。しかし、陸渇南、田口卯吉は自由主義、民主主義を擁護して政府の国家優先主義に対して国民優先主義を唱えた。陸も田口も明治維新以来の欧化主義には批判的であったが、国家の個人に対する絶対的優位を説く国家思想には反対した。国家主義と国民主義という二つの思想的潮流が存在し、国家主義的思想はやがて帝国主義的侵略や軍部ファシズム支配を正当化するイデオロギーの側面を持ち始める。絶対的唯一者への権力の集中を核とする民族、国家の統一、独立、発展を理想とし、国粋的、排外的、侵略的な様相を帯びてくる。1931年の満州事変以後の日本は「東洋平和のため」という理由の下に、日本民族の優越性を旗印にアジア諸国への侵略を行うことになる。

この国家主義思想を支えている「皇国史観」では、「大日本帝国は万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じ永遠にこれを統治し給う。日本国民の生活の基本は西洋のように、個人でもなく夫婦でもなく、「家」である。民衆、家は国=天皇に帰属するだけの価値でしかなく日本人の生活の基本は家であるという「家族国家観」に支えられている。家と国の一体化「皇室は臣民の宗家」日本は天皇を家長とする「一大家族国家」としての国家イデオロギーが強調されている。

民主主義、社会主義、無政府主義、共産主義など、すべて西洋近代思想の根底をなすものであり、わが国の伝統思想とは相容れない。

皇室を頂点とする一大家族国家の「和」を乱す存在は許容しがたいものであり、「和」を揺るがす主張や行動は「国体の精華」を傷つけるとされ、歴史から抹殺すべき事象とみなされた。

「教化」型、歴史教育、国家=現支配層が選んだ特定の価値観を押し付け、自国中心主義と表裏一体の関係で帝国主義的侵略や多民族支配、戦争などに対しては「皇化に浴せしめる」理想にみちた事業であると肯定賛美している。」[19]

教育は国家が国民に対して制度的にとり行う、国力の発展のための働きかけで、国家の繁栄を先立てて教育を考える。すべての国民に能力に応じて極力豊かで高度な教育を授けようという点では、人間を尊重していると見えるかも知れないが、国民を人間として見るより、人的資源として見ている。国家の成長のための手段として尊重しているにすぎない。

皇国史観と国家権力の結合がもっとも緊密になり、もっとも徹底したかたちで強力に押し出されてくるのは、昭和に入ってからである、特に昭和10年代の戦時体制下である。

天皇制国家と大日本帝国とを正当化するための、天皇制国家の人民抑圧の実態を「家族国家論」で包み隠していくものである。

そして、現代でも多くの日本人の歴史観の中に、戦前の皇国史観の考え方が根強く残っている。

 

 

第六章    9・21難波判決 

 

第一節       9・21難波判決の意味

 

 2006921日、東京地裁民事第36部、難波孝一裁判長は国歌斉唱義務不存在確認訴訟(予防訴訟)について、原告側の訴えをほぼ全面的に認める判決を下した。この判決の核心は、10・23通達が違憲、違法であること、10・23通達に基づく職務命令には「明白かつ重大な瑕疵」があり無効であること、またこのような職務命令に従う義務はないとのことであった。憲法と教育基本法の原則をしっかり踏まえた判決と評価できる。

日の丸、君が代強制を憲法19条の思想、良心の自由の侵害と認めた。「10・23通達」を教育基本法101項で禁止される「不当な支配」にあたると明確にのべた。

 判決の要点は「日の丸、君が代」が果たしてきた歴史的役割を指摘し、憲法との関連も明確に判断した上で、「義務を課すことは思想、良心の自由に対する制約」だと言い切っている。「日の丸、君が代は明治以降、第二次世界大戦までの間、皇国思想や軍国思想の精神的支柱として用いられてきたことは否定し難い歴史的事実であり、現在においても国民の間で価値中立的なものと認められるまでには至っていない」このため入学式、卒業式において国旗掲揚、国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり、このような世界観、主義、主張を持つ者の思想、良心の自由も、公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する権利というべきである。したがって教職員に対し一律に式典において起立、斉唱、ピアノ伴奏の義務を課すことは思想、良心の自由に対する制約になる。

 都教委の校長に対する一連の指導等は「教育の自主性を侵害」し、学習指導要領の

「大綱的な基準を逸脱している」ので教育基本法10条1項の不当な支配に該当するものとして違法と断じている。そして「教育基本法10条に反し、憲法19条の思想、良心の自由に対して、公共の福祉の観点から許容された制約の範囲を超えている」と述べている。

 

第二節       関連裁判の動き  

 

2004330日、都教委は再雇用に合格していた8名の教員の合格と講師1名の採用を取り消した。これは実質的な解雇であるとして、617日、9名の元教員は東京地裁に、学校に戻せという「地位確認」と「損害賠償」を求めて提訴した。「解雇裁判」と呼ばれている。静かに座っていただけで解雇というのは「平等原則」から外れた過酷な処分であり「裁量権の乱用」だと主張している。20076月20日に佐村浩之裁判長は「請求棄却」という判決を出した。原告側は判決を不服として控訴し裁判の舞台は東京高等裁判所に移った。

 20053月に退職を控えた5名の再雇用応募者全員が都教委によって採用が拒否され、これに対して8月に最初の不採用者5名が提訴し、翌年新たに採用拒否者8名が提訴し、現在13名で裁判が進められている。

 「採用拒否撤回裁判」は不採用によって生じた損害に対する国家賠償請求裁判として提訴され、口頭弁論の中で杜撰な選考過程が浮き彫りになつた。中西茂裁判長は「都教委は裁量権を逸脱し濫用したもので、不合格は都教委による不法行為である」として、2700万円余りの損害賠償を都に命じた。原告が勝訴し、都教委の強権的な教育行政の実態が社会に大きく伝えられ、その行き過ぎに警鐘がならされたと言う意味で大きな意義があったと言えるが、残念なことに採用の根拠となっている10・23通達と、それに基づく校長の職務命令の違憲性、違法性は認められなかった。そして、原告側は「違憲、違法性」を勝ち取るために、また敗訴した被告の東京都も採用に関する「裁量権の逸脱、濫用」を問題として東京高裁に控訴した。

 

第三節       都教委の動き

 

 9・21難波判決は「不起立、不斉唱、不伴奏を理由にいかなる処分もしてはならない」と命じている。判決は「10・23通達」を教育基本法違反と断じ校長の職務命令は「違憲、違法で重大かつ明白な瑕疵があるから、従う義務はない」と断言している。

学校現場では教職員のあいだに喜びの声が上がった。「被告、都教委にとってはこのうえない衝撃で学校現場の混乱は目に見えている。

行政は司法のチェックを受ける立場にある。当然、都教委は判決の道理に耳を傾けなくてはならない。しかし、そうはならなかった。」[20]

 判決の翌22日、都教委は臨時校長連絡会を開催し、各校長251人の出席者に従来の方針を堅持する意向を示した。「判決確定までは自分たちの行為が何ら阻まれるものではないので、今まで通り、通達に基づいて国旗、国歌の指導を実施するよう」指示した。

 この訴訟のもう一人の被告が東京都知事の石原慎太郎氏であるが、926日の都議会答弁で「判決は不当なものであり、控訴することは当然である」と述べた。

都教委も東京都も、真摯に判決を受け止めようとする姿勢はなかった。原告団や保護者、研究者らの度重なる要請にも関わらず、9月29日に控訴し舞台は東京高裁に移ることとなった。

 控訴理由書で都教委が展開している新しい論理は、大きく2つに別けられる。一つは、「旭川学力テスト最高裁判所判決における「大綱的基準」が適用されるのは国の教育行政のみで、地方教育行政は大綱にとどまらず、詳細な規定を設定できる。さらに教育権は国家にある」、一つは、「地方教育委員会は民主的な教育行政を行うために設けられた機関である、その教育委員会の行う教育行政には教育に対する行政権力の介入はありえない」というものである。

 

 

第七章    いくつかの議論  

 

第一節   この事件の問題点

 

 都教委の異常な教育行政、教育の世界で通常ありえない、またあってはならない命令、強制、「やっぱり、おかしい」「日の丸、君が代の強制はおかしい」、教育の場に処分を背景とした強制はあってはならないとの思いから、思想、良心の自由、教育の自主、自立、自由のためにたち上がった。

10・23通達以前は都立学校の入、卒業式は自由な雰囲気で、様々に創意工夫が施されていた。そのような伝統を何一つ考慮することなく、国家主義的な儀式に変えられた。

 初代文部大臣、森有礼が指示して以来、文部省によって国家祝祭日には学校儀式として御真影への最敬礼、君が代斉唱、教育勅語奉読、校長訓話、祝祭日唱歌斉唱を挙行すべきことが定められていた。日本の学校での厳粛な儀式は国家主義儀式に原型があり、それは忠君愛国の精神を子どもたちに注入するものであった。10・23通達は国家主義儀式復活を目指すものであり、このような学校儀式は、悲惨な戦争への反省に立脚する戦後教育の理念からすれば、まさに対極に位置するものである。立ち振る舞いに至るまで細かく指示されている、それに従わなければ処分をすると脅かす。一律に同じ方法で式典の実施を求める背景には、政治的性格が濃厚で、極めて政治的、思想的な働きかけがあったと言わざるをえない。

「10・23通達」と「実施指針」は戦前の規定を上回って画一的に細部に至るまで式典の在り方を縛っている。「「内心の自由」の説明も禁じられた中で教職員がこれに従えば生徒も同じことを求められていると判断する他なくなる。「未だ価値的中立とは言えない」「日の丸、君が代」について、教職員が一人残らず起立斉唱する姿を見せつければ、「何も考えずに黙って従え」あるいは「どんな思いがあるにせよ、表にだすな」という強烈なメッセージになる。主権者としての自覚を高めていくべき子どもたちに隷属を強いるものである。」戦争の反省から出発し、平和社会建設の大きな柱として憲法に保障された「基本的人権の尊重」とは何を意味しているのか。この第一に「思想、良心の自由」が揚げられている意味は何であろうか。

 特定の思想の受け入れ、表現を意味する「行為」の強制に異議を唱え、国旗、国歌法制定の趣旨を逸脱した「通知」を出して強制すると言う、法治主義の根本を無視した態度と言わざるをえない。

 民主主義社会における主権在民、教職員としての思想良心の自由、信教の自由、卒業式といえども思想、良心の自由は強制されるものではない。東京に集中的に現れる石原都政の不当性、都教委の教育に対する不当な介入によって、現場は混乱し教育は破壊されている。

これらいろいろな想いから、思想、良心の自由を守り、憲法が保障する人権、自由と民主主義を日本に確立しようと裁判に訴えた。

 

第二節    都教委の主張

 

 これまで都教委は指導要領に則り、入学式や卒業式などの儀式的行事において国旗、国歌を適正に行うよう指導して来た。しかし教職員らによるサボタージュや抗議などによって指揮命令系統が機能しなく混乱した学校の状況があったから、その混乱を正常化するために発出したのが10.23通達で、また校長の職務命令である。だから、その後の学校への介入は教育基本法10条1項の不当な介入ではない。

 国旗、国歌に対する尊重の強制は憲法の原則に反しない。思想、良心の自由は絶対無制約ではない。国旗、国歌を尊重すべきことは国際社会における普遍的な道理であり、世界共通の認識である。この国旗、国歌を尊重する態度を育てることは日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育て、国際社会において尊重され、信頼される日本人として成長していくためにも重要なことであり、教育に携わる我が国の教育公務員は当然のこととして、子どもに対して、そのことを教える責務があり、それが教育公務員の職責である。

 日の丸、君が代は我が国の国旗、国歌として法に定められ、国民の間で広く定着している。君が代斉唱を卒業式等で実施することは、君が代について一定の見解を前提として特定内容の理論や観念を教え込むものとは言えない。国旗、国歌について、「学習指導要領に基づき児童、生徒に教育する責務を負うものであり、教職員は積極的に指導すべきものである。

 起立して国歌を斉唱する、職務命令の内容は所属の教職員に対して一定の外部的行為を命じるものであり、教職員の内面的領域における精神的活動の自由までも否定するものでなく、教職員の思想、良心の自由を制約するものとはいえない。仮に外部的行為についても思想、良心の保障が及ぶと解するとしても、外部的行為である以上、教職員の思想、良心の自由は公共の福祉の見地から職務の公共性に由来する内在的制約を受ける。

 教育公務員としてなすべき職務を命ぜられたことにより、その思想、良心の自由が制約されるとしても、地方公務員法30条により教育公務員として受忍すべきものであるから、憲法19条に違反するものではない。」[21]自らの自由意志で公立学校教職員という特別な法律関係に入ったものであり、基本的人権は絶対的なものでなく、自己の自由意志に基づく特別な公法関係または私法関係上の義務によって制約を受ける。

そして、公教育を行う主体は、国であり国は、国政の一部として適切な教育政策を樹立、実施すべく教育の内容及び方法について法律等によって定めることができる。教育の内容及び方法、即ち、教育課程に関する事項について決定する権限がある。

 

 

第三節   都立学校長、土肥信雄の主張

  

三鷹高校元校長の土肥信雄氏は在職時代「職員会議が補助機関になった事を喜んだ」と述べている。都教委は20064月都立学校に向けて「学校教育適正化について」という通知を出した。職員会議での教職員の意向を確認する挙手、採決を禁止する通知に対して、「行き過ぎである」「都教委のやっている事はおかしい」と批判し都教委に対して公開討論を幾度も求めて来たが、都教委は一切応じなかった。

「この通知によって教員の間には何を言っても意味がないという空気が広がって自由な討論がなされず、学校活性化が失われた、言論の自由を奪うがゆえに民主主義を教える学校現場にはなじまず、学校の活力を奪ってしまうと考え、日常的に生徒に接している教員が自由に発言できなくなれば、その弊害を蒙るのは生徒たちであり、学校や社会はいっそう息苦しいものになる。そうならないために、自由にものが言える社会を守るために、いま何をすべきか何ができるか」問題提起している。[22]

「基本的人権の尊重、とりわけ言論の自由は大切で、多くの意見を反映できる制度としての民主主義社会にとって言論の自由は絶対不可欠な要素であり言論の自由がない社会は、民主主義社会とは言えない。民主主義を教えるべき学校で民主的な運営が行われなければ民主主義は教えられない。教師の言論の自由がなくなれば必ずや生徒の言論の自由も奪はれ、日本が再び崩壊の道を歩むと思います」と述べ、10・23通達前は激しい論争があり、多くの不起立者がいたが式の混乱はなかったし、保護者の苦情も聞いていない、苦情を言ったのは一部の都議だけだと思う。職員会議の補助機関化によって国旗、国歌の実施は校長裁量の問題となって、10・23通達の発出は必要なかった。教職員に一言も物を言わせなくする意図でしかない。

通知は言論統制に繋がり最終的には生徒のためにならないからこそ、通知の撤回を要求しただけである。都教委にとって自分たちの方針に従わせることが最重要であり、自分たちに批判的な意見は徹底的につぶし、自分たちの意見だけを通す。これを言論弾圧と言わずして何と言えばよいのか。「言論の自由が奪われようとしている状況に、一人の人間として反対の声を上げていかなければならない」と述べている。

 

 

第八章    民主主義社会での教育の目指すもの

                

第一節    教育の目的と教育の主体

 

連合軍総司令官の要請により、占領下日本の教育再建についてアメリカ合衆国より派遣されたジョーン・D・ストッダード博士を団長とする総勢27名、南原繁を委員長とする日本側教育家委員会とともに討議を行い調査、研究を重ねて報告書をまとめた。

アメリカ教育使節団報告書では、日本の民主化をどうすれば達成出来るか、その障害になっているのは何かを分析し、「教育は個人の尊厳と価値との承認の上に基礎を置くものでなければならない」、「中央統制の画一的教育は廃止すべきである」、「教師の最善の能力は自由の雰囲気の中でのみ栄えるものである」と教育の近代化についての諸提案を行った。

「日本の教育制度は一般大衆と一部の特権階級とに別々の型の教育が用意されていた。教育の効果は標準化や画一化が、どの程度達成されたかによって測られていた。学ぶ側の理解なしに、これらの目的が教え込まれた。民主主義における教育の成功は画一性や標準化によって測ることは出来ない。社会の一員としての能力を全的に発展させることを助長するように整えられなければならない。試験のために事実的知識をただ覚えることよりも自由に探求することのほうが強調されるべきである。学校は人々の諸経験を補足し豊かにするために設けられる。個人が一生を通じて最善の自己を前進的に達成するような結果をもたらす教育こそが、もっとも望ましい。民主主義においては(・・・略)個々の人間存在が卓越した価値を持つものである。個人の利害を国家の利害に隷属させてはならない。個人の能力にふさわしい教育機会が(・・・略)すべての人に平等に与えられるべきである。学校において勅語奉読や御真影奉拝の儀式を行うことは望ましくないと考えられる。生徒の思想や感情を統制する強力な手段として、軍国主義的国家主義の目的に奉仕するものであり、それらは廃止すべきである。そうした手段の使用と結びついた儀式は人格の発展に不適当であり民主的日本において公的な教育とは両立しえないものと考える」[23]と結論づけている。

教育は人間として成長し発達しつつある子どもに対して、他者が教育的な働きかけを行うことで子ども自身の人格の形成を促す営みである。もともと、当人が有している人間としての可能性を引き出し、それを現実の諸能力として開花させ育てていくことである。大切なことは教育の中心に「子ども自身が学習する行為」をしっかりと位置づけて行うことである。国家目的のため、国家のために役立つ人間を育てるものではない、国家に優先して個人の尊厳があり、国家の意思に先んじて国民の意見が尊重されねばならない。国家の思惑を離れて個人の人格の完成が教育の目標である。教育という行為は当事者の納得と合意が最大限に得られて行われてこそ、もつとも効果が期待されるものなのである。それぞれの、人間の人格の完成、それぞれの人間が精神面をふくめ将来的に豊な生活を送ることを目的としている。一人ひとりの子どもが尊重される教育を実現すること、子どもの思想、良心の自由が尊重されること、一人ひとりの子どもが基準でそれぞれの子どもがどのように成長発達を遂げるかを目的としている。教育の主体は子どもにあると言える。そして、民主主義を守るためには教職員の言論の自由が保障されなければならない。子どもが自分の考えをきっちり述べる、子どもが活発な意見を述べてこそ活発な社会が生まれると考えられる。

 

第二節 10・23通達の不当性

 

 「教育は一人ひとりの良心を育てる、その人なりの良心による自己啓発を助ける。教育はすべての人々の有する学習への権利を充足するものと考えられる。「教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりも子どもの学習する権利に対応し、その充足をはかる立場にある者の責務に属する」、人格と人格、心と心のふれあいから成り立っている。憲法、教育基本法がめざす学校像、教師像は本来そういうものであるはずである。」[24]

 「個々の教師に対して文書による職務命令を交付し、その違反に懲戒処分の威嚇をかけ、儀式当日に管理職および教育委員会職員による全面的な職員監視体制をとって違反摘発を行う異様な雰囲気のもとに行われる、君が代斉唱強制に注目しなければならない。教育現場を混乱させている真の原因は何か。懲戒処分を背景として強制することが教育現場に対してどのような影響と効果をもたらしているのか。憲法99条に定められた憲法遵守義務に従わない者こそが公教育の現場から放逐されるべきである。」[25]

 日本国憲法が信教の自由(26条)、表現の自由(21条)と別個に思想、良心の自由を定めた意義は明治憲法下で国家権力が神権天皇制の思想でもって国民各人の思想、良心にまで抑圧的、統制的さらに教化的、洗脳的に侵入したことを二度と許さないことを確固として明示したことにある。憲法19条の「思想、良心」とは国家および行政機関が介入してはならない領域であると考えられる。

 日本近代の侵略の歴史において、日の丸、君が代が果たした役割、天皇を賛美する歌である君が代に民主主義の観点から賛成できない人もいる。国旗、国歌という存在をどう受けとめ、どう向き合うかはひとりひとり個人が自己の思想、良心に照らして決めるべきことである。

日の丸、君が代が戦前の日本の皇民化教育および侵略戦争遂行の中で重要な役割を果たしてきた、歴史的事実を見れば日の丸、君が代をどう捉えてどう評価するのかは、個人の歴史認識、戦争責任についての評価についての、個人の世界観、人生観によって判断されるべきものである。公務員たる教員にその良心の自由は憲法19条において保障される。[26]

「戦前の教育は教育勅語に基づいて、全国一律の定型化した教育が徹底されていた。

戦後の教育は、そのような硬直化した教育の反省から、子どもの個性を伸ばし、地域や子どもの実態に即した教育を各学校が行って行く方向に大いなる転換が図られた。

儀式の時だけは全地域的に一律に上から決められた詳細な方式に則って忠実にやらなければならない方針自体が個性教育の本質からみて異常である。むしろ儀式での画一的な形態の遵守を求めることで、それ以外の教育の内容や学校運営の画一化を広げて行こうとする傾向に拍車がかかる。」[27]教育行政が一方的に決めたことを校長に押し付けることは断じて許されることではなく、学校教育において、学習の過程で国旗、国歌を強制することは教育の営みに反する。10・23通達及び職務命令は思想、良心の自由を侵害し違憲、違法である。

 

第三節 教育のあるべき姿

 

 教育の本質は、「子どもの人間性(人格)の形成を促す(発達させる)営みで教育の中心に「生徒自身が学習する行為」をしっかり位置づける、子どもの内側から「もっとわかりたい」という要求を引き出すことである。日本国憲法26条、教育基本法(旧)第1条、子どもの権利条約(1994年日本批准)第3条、学習する権利(学習権)を保障することを軸に人間形成を促すという教育の理念が導き出される。

 意見や感情の違いに多様な可能性があるか、又はあることが予想される時には、教育活動という名のもとに「ある行為のみを一律に強制する」ことは、教育の本質からいって妥当ではない。教育にとって必要なのは、なぜ意見の違いが存在しているのか、問題の争点は何処にあり、どのような基準で判断すればいいのかについて、客観的な事実や資料を提供する事である。」[28]

 教育で大切なことは人間らしく生きるために、自分で考え行動できる力を育むことである。子どもたちが自分自身の可能性を信じ、お互いの違いを認め合うようになることである。それには、平和で平等な社会、教育の自由が保障されることが必要である。

 一人ひとりの子どもが自分なりの判断基準を作り、一人ひとりの子どもが自分の意志で自由に信条を形成できることが必要である。子どもの心を操作し権力にとって望ましい方向に誘導していくことは、許される事ではない。

 教職員の協働、学校内の諸問題に対して、みんなで話し合い、良い方向に解決することが大切である。一人ひとりの基本的人権を守り、教職員と子ども達の信頼関係によって教育は成立する。

 

おわりに                         

 

 

 教育とは何か、教育の主体は誰にあるのかを明らかにし、「10・23通達」が戦後教育の歴史の中で突出して不当なものであり違憲、違法なものであることを論ずることを目的に考察してきた。

この考察から、第一に戦後教育の民主化がGHQによって推進されたが、朝鮮戦争の勃発にともない、アメリカの対日政策が変化しアメリカの国益を優先させることで教育政策が不徹底に終わり、教育の右旋回をもたらした。第二にその結果、戦後教育には教育を管理するのは政府=国家であり国家にとっての人材育成を目的とする戦前の流れを汲む国権派的な発想と教育の主体は国民であり、個人の人格の完成を目指して教育は実施されるべきであるという民主主義的な発想による二つの対立する流れが出来た。第三に「日の丸、君が代」が日本近代の侵略の歴史に果たした役割、「君が代」が天皇を賛美する歌であり、そのような観点から賛成できない人もいる。国旗、国歌に対して、どう向き合うかは、一人ひとりが個人の思想、良心に照らして決めるべきことであり国家によって強制されるべきものではない。第四に東京都の教育の自由を圧殺している教育行政の異常性。教育改革の名のもと、教育全般にわたる国家主義教育の注入へエスカレートしている実態と権力の濫用の実態、と言うことが判明した。

本論考によって、第一に教育は子どもの人格の形成を促す営みであり、個人の人格の完成を目指して教育は実施されるべきである。教育の主体は国民であり、国家目的のため国家に役立つ人間を育てるものでなく、すべての人々の有する学習への権利を充足するものである。第二に、10・23通達、それにともなう都教委の施策は民主主義社会が目指す教育の目標に明らかに逆行し、戦前の教育理念を完全に否定した上で現在の憲法、教育基本法体制が打ち立てられた歴史的意味を考えると、10・23通達及び職務命令は思想、良心の自由を侵害し違憲、違法である、ということが明らかになったと考える。

 戦後民主主義というものが戦前の教育勅語に基づく硬直化した教育の反省に立って唱えられたにもかかわらず、教育、文化の領域における戦争責任が曖昧なまま意識改革がなされず、権力者の意識の中に国家主義思想が根強く残った。また、国民主権の意識、政治意識の希薄さに見られる日本人の精神性と、多くの日本人の歴史観の中に戦前の皇国史観に基づく国家主義思想が残っている。民主主義思想が脆弱であり、未だに日本社会の中に民主主義が根付いていないと考えられる。





[1] 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」各都    立学校長宛 東京都教育委員会教育長 横山洋吉

[2]  処分者総数は2009331日、現在

[3]  国旗の掲揚、国歌の斉唱、会場設営等について3つの大きな項目から成り、それ    ぞれが4つの項目に細分されている。12項目について国旗の掲揚すべき場所、方    法、時間が詳細に規定されており、式典における国旗の掲揚、国歌の斉唱の具体    的方法について詳細な定めがなされている。
[4]  旭川学テ最高裁判決「学習指導要領は大綱的な基準であるとし、学習指導要綱に    よって教育を細部まで規制するのは違法」
[5]  GHQの要請により、戦後日本の教育体制樹立の方向を確定するため来日した27    名からなる使節団。六・三制、教育の地方分権化などの内容を含み占領下の教育    改革の基本となる。
[6]  194689日付で設置された。496月から教育刷新審議会と改称する。委員長    には安倍能成前文相が就任、4711月から南原繁東京帝大総長が交代。

[7]  中谷 彪 「教育基本法の世界―教育基本法の精神と改正論批判―」渓水社

[8]  「日本の成長と教育」1962年度 教育白書

[9]  岡本達雄 「教育基本法「改正」とは何か」インパクト出版会

[10]  岡本達雄  前掲より要約

[11]  2004128日、都議会本会議発言

[12]  2000年スタートした東京都が推進している運動。子ども達に正義感や倫理感、     生活する上での心得を伝える事を目的としている。戦後教育の破壊をねらい、     愛国主義へ動員する運動と批判がある。
[13]  2006413日学務部 2 職員会議の適正な運営 (1)職員会議(成績会議     等も含む)において、「挙手」「採決」等の方法を用いて職員の意向を確認す     るような運営は不適切であり行わないこととした。

[14]  齋藤貴男 「機会不平等」 文春文庫 2,000年 より引用

[15]  2002年度東京都教職員病気休職者299名、うち精神疾患による休職者は171名、       2005年度より急激に増加。2007年度病気休職者602名、うち精神疾患による休      職は416名。
       引用資料―教育委員会月報(文部科学省刊)

[16]  中谷 彪  前掲より引用

[17]  堀尾輝久 「教科書問題―家永訴訟に託す」岩波ブックレットより引用

[18]  堀尾輝久  前掲より引用

[19]  永原慶二 「皇国史観」岩波ブックレットより要約

[20]   澤藤藤一郎 『「日の丸・君が代」を強制してはならない 都教委通達違憲判決    の意義』
       岩波ブックレットNo.691より引用

[21]  東京都人事委員会審議 2006103日 共通準備書面(1)から要約

[22]  土肥信雄「学校から言論の自由がなくなる」岩波ブックレットより要約

[23]  アメリカ教育使節団報告書より要約

[24]  2005620日 予防訴訟口頭弁論 大田 堯「意見書」より引用

[25]  20081021日、予防訴訟控訴審第3回口頭弁論 渋谷秀樹「意見書」より要     約

[26]  2005426日、福岡地方裁判所、戒告処分取消等請求裁判判決

[17]  2008年7月17日、04年処分取消請求訴訟 第7回口頭弁論 梅原利夫「意見     書」から引用

[28  前掲 梅原利夫「意見書」から引用

参考文献

 

『予防訴訟第一審資料集(2003〜2006)』予防訴訟をすすめる会                    「CD―ROM」 2006年9月

『予防訴訟資料集(2)一審判決全文、控訴理由書他』予防訴訟をすすめる会                  「CD−ROM」 2007年1月

『予防訴訟資料集・第3集(2006,12―2007,10)』予防訴訟をすすめる会                    「CD−ROM」 2007年12月
東京「日の丸・君が代」裁判パンフ編集委員会
        『「日の丸君が代」強制反対自由な学校でのびのびと子どもが育つためにー         東京における「教育の自由」裁判のはなし』
2008年10月25日

『ある被処分者たたかいの記録09,2,14
           「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会 
                   2009214 パンフレット

澤藤統一郎著 『「日の丸・君が代」を強制してはならない 都教委通達違憲判決の意義』            岩波ブックレットNo、691 岩波書店 2006年12月8日

土肥信雄、他編『学校から言論の自由がなくなるーある都立高校長の「反乱」』
                 岩波ブックレットNo、749 岩波書店 2009年2月6日

永原慶二著 『皇国史観』
                岩波ブックレットNo、20 岩波書店 1991年6月5日第13刷

大田 堯著 『戦後日本教育史』  岩波書店 1982年6月10日

五十嵐良雄著 『JJルソーの教育論』現代書館 19962

林信弘著「『エミール』を読む」―ルソー教育思想入門―法律文化社 1995320

『月刊 まなぶ』 2009年4月号第64号 労働大学 2009年3月10日

『予防訴訟判決(国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)』2006年9月21日
              東京地方裁判所民事36部(難波孝一裁判長)

「日の丸、君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会    2006年10月7日初版

『控訴状』 (都教委)国歌斉唱義務不存在確認控訴事件

『意見書 学習の指導過程で国旗、国歌を強制することは教育という営みに反します』

梅原利夫 和光大学教授 2008年6月10日
『意見書「日の丸、君が代」強制についての憲法判断のあり方―学校儀式における教師の場合     ―』   渋谷秀樹 立教大学大学院法務研究科教授 

 2008年9月8日 

『10・23通達 入学式、卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)』         東京都教育委員会               20031023

旭川学テ最高裁判決文         1976年5月21日判決

『内閣委員会議録 第十二号(その一)』          1999年7月16日

堀尾輝久著 『教科書問題―家永訴訟に託すものー』
          岩波ブックレット No241 岩波書店 1992年2月20日

村上義雄著 『東京都の「教育改革」石原都政でいま、何が起こっているか』
                岩波ブックレット No613 岩波書店 2004年1月7日

西原博史著 『教育基本法「改正」―私たちは何を選択するのかー』
          岩波ブックレット No615 岩波書店 2004年2月5           

藤田英典著 『教育改革のゆくえー格差社会か共生社会か』
                岩波ブックレット No688 岩波書店 2006年11月2日

都立学校を考えるネットワーク編『学校に自由の風を!保護者、生徒、教師たちの声』  
                岩波ブックレット No645 岩波書店 2006年2月4日   

中谷 彪 著 『教育基本法の世界―教育基本法の精神と改正論批判』
            渓水社 2003年1010

浪本勝年、三上昭彦 編著 『「改正」教育基本法を考えるー逐条解説「改訂版」』
             北樹出版 2008年10月25日

岡村達雄著 『教育基本法「改正」とは何かー自由と国家をめぐって』
          インパクト出版会 2004年5月15日

村井実訳 『アメリカ教育使節団報告書』 講談社学術文庫 200858

                              

                                         (2010年3月31日、2010年7月3日一部修正)