「北大路魯山人」私考



 フランスの贋作者が「ピカソやセザンヌは簡単だ。しかし フェルメールは・・・」と言っていたのが印象深い。加藤唐九郎と言えば「永仁の壺」事件で有名だが彼の作品の贋作など多少の陶芸の経験があれば簡単に作れる。
北大路魯山人といえば書、篆刻、陶芸、絵画、漆芸など広範囲の分野で見応えのある作品を残した事で有名だ。 特に陶芸作品は器形、表現技法ともにきわめて変化があり、志野、織部、黄瀬戸や信楽、伊賀、備前や京焼き、唐津、染め付け、色絵など多方面の作風を試みている。我が国の古陶に見いだせる「美」を作品の形や釉薬の扱い、模様の扱いなどに意図的に取り入れている。
しかし、それらの作品は彼自身が作ったのではなく、彼が雇用していた陶工が作った物であり、それぞれの物がいわゆる「写し」と言われる域をでていない事実に気づくことが必要である。時代、時代ごとに全く作風が変化し、彼の作品には技術的な統一感もなければ個性もない。それが証拠に彼の贋作は多い。もちろん贋作が多いのは彼の作品に人気があり、その手の需要が多いからとも言えるが、技術的に高められたものがなく、ひとつ一つの技術が幼稚で、作風が素人ぽいところに,贋作者が付け込む隙があると思える。
 魯山人について評価されるべきは、個々の作品ではなく美食ということにおいて、それにふさわしい食器は何かという事を初めて考えたことであり、従来、陶芸家がつくるものは観賞陶器に限られ、食器は陶工が作るものとして低い評価しか与えられていなかったが食器つくりを陶芸家の職域に引き上げ、類型的だった食器のデザインに新風を吹き込んだことである。
相変わらず、魯山人の人気は高いが、その道の権威者が良いと言うから良いのではなく、自分の感性を通して彼の何が良いのかを考えて欲しい。彼の作品の贋作など簡単に作れる、魯山人の作品など、その程度のものである。
料理を演出するための食器のコーディネートにおいて、美食の場の演出家として彼は天才的な才能を発揮した。この点が評価されるべきである。

                                                       (2005年5月11日)



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