「印象派絵画に与えたジャポニズムの影響」




 印象派は19世紀後半にパリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家達による前衛芸術運動でヨーロッパ、アメリカや日本にまで影響を及ぼした。
 日常生活で生まれた余暇を過ごす人々やガス灯による夜の情景、ダンスホールに集う人々、或いは踊り子やサーカスの曲芸師など、すべて日常の中に存在するものを当時の近代性を用いて対象を表現した。色彩や構図などの技法の上でも重要な革新をもたらした。

 印象派の絵画の特徴は光の動き、変化の質感をいかに絵画に表現するかで、ある瞬間の変化を強調して表現することであった。それまでの絵画に比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる、またタッチも荒々しく、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。それまでの画家が主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に陽光の輝きの探究のため好んで屋外に出かけ絵を描いた。

 画家はもはや宮廷に仕える特殊技術の持ち主であることをやめ、一個人の意志と方法を持つて、絵を描き展覧会を開く存在となった。作品鑑賞のシステム、美術館や画廊という特別に設けられた空間に人々が出入りし鑑賞する方法も近代になってから作り上げられた。印象派と呼ばれる画家達にマネ、ドガがいる。
 印象派内部の個性の違い、画廊や芸術雑誌が次々に生まれ、美術界全体にも極度に個人主義的なアナーキーな状態が生まれる、そのような状況の中で、印象主義を母胎としながら印象主義を批判し、もっと新しい造形表現を模索する画家がセザンヌ、ゴーギャン、スラー、ゴッホであり、後期印象派と呼ばれている。

 19世紀後半に日本美術がヨーロッパ美術に幅広い影響を与えるジャポニズムと呼ばれる現象を起こした。1900年代に広まったアールヌーボーにもジャポニズムの影響が見られる。
 ヨーロッパは植民地政策によってアジア諸国の文化を知るり、異文化のエキゾチズムを求めた人々が中国の工芸品、陶磁器などを生活に取り入れるようになる。
 1878年パリ万博で日本画の自由な平面構成による空間表現や浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならないとする制約から画家達を開放させる。この時期に浮世絵に影響を受けたと言われる画家にマネ、モネ、ドガ、ゴッホ、セザンヌ、ロートレックがいる。

 浮世絵の左右非対称や余白をいかす構図、対象物の一部の拡大や切り取ったような大胆な構図、鮮やかで生彩に富んだ色彩表現は西洋絵画には存在しなかった。平面的でありながら躍動感にあふれる日本の美術が画家たちを驚かせた。
 異国趣味としての日本趣味から一歩進んで日本美術の造形的な特質を欧米の画家が自分の創作に取り入れるようになった。ギリシャ以来のヨーロッパの美意識に新風を吹き込んだ。日本美術は西欧に欠けていたものを補完するものとして積極的に摂取された。たとえば大胆で非対称的な構図と線と、平らな色面だけですべてを表現する浮世絵はゴッホにリアリズム以外の自然の捉え方を示唆した。北斎の「富嶽三十六景」などは同じテーマを異なる季節や時間に描くという連作のヒントをモネに与えた。モネは連作により、光線が刻々と変化するのを色彩を変えることで表現されるもの、異なる光によってみせる、さまざまな現れ方を鑑賞者にいっそう強く印象づけた。
ドガ、ゴーギャン、ロートレックらも各自が必要とする要素を日本美術から取り入れている。ジャポニズムは19世紀末からの西欧の芸術に欠かせない要素となった。

 オランダ出身のフィンセント・フアン・ゴッホは伝道師などさまざまな職業を試みた後、その不安に満ちた激しい内面世界、宗教的感情を託す手段として絵画を選んだ。ゴッホは日本に対する関心がたかく技法的にも浮世絵の大胆な構図と平明な色彩の強い感化を受けた。ゴッホはパリで広重の「亀戸梅屋舗」や英泉の「雲竜打掛の花魁」を模写し日本的画法を油絵で試みている。
 陰影をつけず線描や点描だけによる描写、地平線をかなり高く設定する俯瞰的構図,前景に大きなモチーフを描いて遠景と対比させる「対比遠近法」をはじめ,格子状の短いタッチを用いて縮んだ紙に刷られた浮世絵のマチエールを真似たりしている。浮世絵を模写するときでも習作的に写すのではなく、文字を配した枠組みを描き込んだり、複数のモチーフを組み合わせたり、西洋風の明暗法を採用してみたりと、独自の作品としている。ゴッホにとって浮世絵研究は西洋絵画の伝統の呪縛から解放される手段として重要だった。ゴッホは日本という国をその思想や精神性の根底まで理解しようと努めた。

 石版画や木版画の新しい技法の発明により新興市民階級のための芸術が起こる。大衆のための芸術である浮世絵版画があらゆる要因で大きな影響を持つ。
アンリーリヴィエールは「エッフェル塔三十六景」の中でフランスの風景に江戸の雰囲気を加え、北斎の「冨嶽三十六景」を暗示させる。

 江戸時代は鎖国という暗いイメージで捉えがちだが、これは幕府の貿易独占を意味しており実際にはオランダ船を通して文物の交流は活発に行われていた。
 産業革命以後、市民革命を経て、社会は構造的転換をする、写真の発明の影響もあって、絵画の新しい表現、新しい様式の模索を続け写実主義からの脱却を試みる。絵画表現を切り開く上で、ジャポニズムが一つの触媒となった。日本のジャポニズムがヨーロッパ美術に与えた影響は計り知れない。もし、浮世絵の印象派、後期印象派への影響がなかったら、現代のヨーロッパ美術、ひいては世界の美術は全く違った様相を示していたであろう。

              
                            
(2009年6月2日)