詐欺師・伊集院公威


1982年、銀座『和光』で個展を開き、他人の作品を自作と偽って販売し、一億円の荒稼ぎをした。
唐津などで購入した作品、瀬戸、美濃の陶芸家に「お前の個展を銀座で開いてやる」と言って持ち出した作品、美大の陶芸工房の裏に捨ててある、いずれ壊す出来損ないの作品など。
およそ、単価5、000円のモノを平均60万円で売った計算になる。

 当時の読売新聞に「銀座ド真ん中、インチキ個展―陶芸品」、「他人の作品も並べて荒稼ぎ」、「和光が80点、1,500万円を回収」と三本の縦見出しで報じられている。

 数学者の矢野健太郎や陶芸家の加藤唐九郎、彫刻家の堀内正和も推薦文を寄せ、哲学者の谷川徹三は「・・・秩序の感覚が爽やかで風のように吹き通して快い」などと、作品をベタ誉めする推薦文を書いている。

 それにしても伊集院公威は華麗な経歴の持ち主である。米国籍で、米空軍パイロット、京都大学を卒業、プリンストン大学高等数理研究所を修了。京大、プリンストン大学から、それぞれ博士号が授与されている。数学博士、陶芸家、エッセイスト、評論家と輝かしい才能の持ち主である。広中平祐や池田満寿夫が親友で、中山千夏、左幸子、辻清明などとも交流がある。勿論、これらの経歴はほとんどが詐称である。

ここで問題になるのは、他人の作品を自作として売れば詐欺になるのか、経歴を詐称して作品を売れば詐欺になるのか、文化人?のデタラメな推薦文を添えると詐欺になるのか。
もし他人の作品を自作として売ることが詐欺になるなら、陶芸の世界は詐欺師のオンパレードである。高名な陶芸家で、実際に自分で作品を作っている人は少ない。弟子の作品をちょっといじくっただけ、最後にちょっと形を崩すだけで自作として売る。弟子の作品をそのまま自作として売る。まるで天皇陛下の田植えのようなことがまかり通っている。

 何より、作品を見て良いと思って購入したのだから。本人の鑑定眼の問題である。偽作であろうが、経歴に偽りがあろうが、文化人の推薦文がデタラメだろうが、何の責任もない、という考え方もできる。医師や弁護士の世界はニセモノと本物を仕分けるルールがはっきりしている。陶芸の世界も自分で粘土を捏ね、自分で成形し、自分で釉掛けし、自分で焼成した作品のみが「自作である」と最低限のルールが欲しいと思うのだが。

この詐欺事件は陶芸のみ成らず、美術界が抱えている問題点をあぶりだしている。大まかに言えば、鑑定眼を持ち合わせていないのに、専門家然として知ったかぶりを披歴している評論家が、作品も見ずに批評文を書いている実態と、鑑賞者が鑑賞能力を持ち合わせていない実態である。

推薦文が作家の信用性を高めるのに、一役買うことを考えれば、無責任な批評は出来ないはずである。事件発覚後、谷川徹三のように推薦文が詐欺の小道具に使われた事に責任を感じ「これ以上多くの人に迷惑をかけたくない、私の推薦文を抹消してほしい」と訴える人もいれば、堀内正和のように「推薦文を書いたかもしれないが、よく覚えていない」と曖昧な答えで誤魔化そうとする人もいる。

和光をはじめ、老舗のギャラリーには社会的責任がある。伊集院の言う経歴や有名人の推薦文を鵜呑みして、作品の質を見極める事が最も大切であるのに、作品についての吟味を怠った。これは鑑賞者にも言える事で、有名人や権威者の推薦文、作家の経歴に迷わされず、鑑賞者が自身の眼で、駄作と秀作を見極める能力を身につける事が大切である。

その後の伊集院公威の消息は不明である。寸借詐欺や無銭飲食で捕まったと言う話も聞こえて来ない。本名は城戸万夫、生きていれば74歳になる。
 それにしても、せこいペテン師、寸借詐欺や結婚詐欺の常習者が天才的な大物詐欺師にどうして成り得たか、未だに疑問である。



       玉川大学キュレーターズ会報 第39号掲載 2012年2月25日発行