日本の教育が忘れてきたもの



 日本の社会は学校教育においても、、それ以外の教育においても、本来の教育の意味である「内的資産」という無形の財産の形成を疎かにしてきた。

 内的資産の形成には家庭環境が重要であるが、社会が教育をいかに考えるかと言った社会環境も同じく重要であると考える。
教育は人間が将来において「生きる力」を身につけるためにある。個人の人間性、精神的な成長、発達を願って行われるべきものである。

 ハヴィガーストの発達理論の意味も人間の誕生から死に至るまでのライフサイクルの中でのそれぞれの学習課題を具体的に述べたものと解釈するが、どのような生き方が望ましいのか、どのような生き方が幸福であるのかが根底にあると考える。

 戦後の日本の学校教育において、人格の完成といった教育理念とは裏腹に教育の意味を矮小にとらえ、学力重視の偏差値教育によって差別と選別の教育を行って来た。精神面での充実を求める情操教育と言った教育が本来担うべき内的資産の形成を怠って来た。
一生涯続く人間形成という学習プロセスの中で青年期以降の教育がなおざりにされてきた。

 その矛盾が経済的不況による急激な社会変容によって、ひきこもり、ニート、派遣切り、孤独死といった社会現象となって現れていると考える。

 教育の本来の意味を個々の人が考え、内的資産の重要性と青年期、成人期以降の学習課題を認識する必要がある。

 成人期以降の学習課題は職業的、趣味の充実など多様性を持っていて、1つの視点ではなく、様々な視点から考えるべきであり、個人的な動機や価値意識によって異なってくるが、自己の内的課題を認識して、学ぶ楽しさの追及、生きる力、人生に対する目的意識、責任感などの内的資産の充実が必要と考える。








                                  2010年1月19日