「明朝体の発明」




 何かを書き表すには、用筆とその相手となる媒体の材質を考えなければならない。
和紙に書くなら毛筆がよく、ガラスに書くなら油性の塗料の方が上手く書ける。

「書体」の成立を考えると、その時代の文字の表現用具とその媒体の材質により成り立っている。古代の文字は刃物で刻んだもので、硬筆体の描線であり、「写本」に見られる書体は毛筆によって描かれた毛筆体の描線である。てん書、隷書、宋朝体、明朝体、などは刻んで出来た書体であり、楷書、行書、草書は毛筆により書くことにより出来た書体である。
 中国では宋の時代(日本では平安時代)に文化が進歩し、経典をはじめとし、いろいろな出版物が印刷されるようになる。
 印刷された物があり、その集合体として書籍が生まれる。明の初期までは顔体や欧体が使われたが、明代の後期なって印刷される文字が様式化されはじめ、現在、「宋朝体」と呼ばれている書体が発明される。宋朝体を観察すれば刻まれた文字であるのに毛筆体のニュアンスが感じられる。
 明代(日本の室町から江戸初期)になって商業資本が活発化し、庶民階級が台頭して,文字が特権階層から中間層へと拡がって行く。識字能力が官僚だけでなく農業経営や商業活動にも有用である事が認識される。また、中間識字層の増大は出版が商業として成り立つことを認識させる。そして庶民を対象に「西遊記」、「三国志」、「水滸伝」などの出版物が刊行される。
 中国で紙が発明され、その紙に書くための筆や墨が発達する。少なくとも紙も筆(ペン)や墨(インク)もヨーロッパのものと性質が違っていたと考えられる。
 ヨーロッパの書籍がカラフルで豪華に見え、中国の書籍がニュートラルで質素に見えるのは技術的な差ではなく、中国の紙がヨーロッパの紙に比べて、非常に薄くてしなやかで、擦ったり叩いたり、墨を染み込ませてもびくともしないほど丈夫だった事が考えられる。
そして、グーテンベルグの活版印刷(1456年)よりも400年前に活字印刷が中国で発明されていたのも関わらず発達しなかったのは、書籍の印刷に伝統的な整版印刷の技術が適していたからである。文字を逆さ向けに浮き彫りする中国での印章技術の発達も無視することは出来ない。

 出版産業の発達により、「刻工」と呼ばれる職種が誕生し、工房で出版物の整版を共同作業で行うようになる。そして、文字を彫る技術や書体の様式の統一が不可欠となる。
 結論として、楷書や行書や草書はすべて書くための書体として発展したのに対して、この宋朝体は彫るために発達した。彫るための効果,つまり表示の明確、単純性、並列した場合の均整化を考えつくられた。「宋朝体」が江戸時代初期に僧鉄眼が『方冊大蔵』という経典を翻刻した時に、さらに彫る効果、効率を考え「明朝体」として改良されたと考えられる。





参考文献:L、フエーブル、H-Jマルタン著 宮下志朗、月村辰雄訳『書物の出現』筑摩書房
        高橋春人著 レタリング専科教本1巻 日本通信美術学園
        米山寅太郎『図説 中国印刷史』 汲古書院 2005
        『明代出版史稿江蘇人民出版社 2000

                                      (2005年8月18日)




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