「差別構造の温存がもたらすもの」


                                                  坂本正通

 民主主義、主権在民と言うけれど、「国家」というものは国民大多数の意向を無視し、権力者にとって都合よく作られている。今から30年も昔に、ドナルド、キーンが「日本はいつ全体主義になってもおかしくない、日本人の血の中に全体主義の思想が流れている」と述べていたが、最近の日本の社会風潮を見るとキーンのこの指摘が実感として感じられる。

戦後民主主義の一番おいしいところで生きて来たが、子供心に「この民主主義」に胡散臭さを感じてきた、最近は、「この胡散臭い民主主義」を守るのに一苦労しなければならない。以前は「納得いくまで、時間をかけても、物事をみんなで決めよう」とする風潮があったが、最近ではトップダウン式に一部の人間が物事を決めていく。決定に参加させずに、決まった事は守れという。多数決の原理には少数意見の尊重が根本にあるはずなのに、「小数者は黙っておれ」と言った風潮がもっともらしく通用する。

国家の権力者によって、人為的に作られた差別の構造、国民の支配に都合よく利用されている。利益を得る階層と負担を強いられる階層、利益を享受する階層がいて、負担はより貧しい弱い人間に押し付けられる。マジョリティーとマイノリティー、利益を享受する方に決定権があり、負担を強いられる人々には決定権がない。利益を得る権力者によって「一部少数の被差別階層」を社会の中に作っていく、国民支配のため差別が人為的に作られてきた。このような社会の差別構造が問題であると考える。

日朝関係について考えると、室町時代から江戸時代まで、豊臣秀吉の一時期を除き、対等の友好国として交流を行って来たと認識している。それが明治政府になって「富国強兵」、「殖産興業」と言った国家目的が最重要視され国民生活の犠牲のもと軍事、経済が優先され、それに伴い朝鮮は日本より劣った国と言う意識、朝鮮人の蔑視感が国民の中に植え付けられて行く。幕末、欧米列強によって不平等条約を締結させられた日本は軍事力を強化し、近隣諸国に対して武力をもって国家主権を侵害していく。朝鮮に対しては日朝修好条規、日韓協定等の不平等条約を締結させ、やがて「日韓併合」をする。日本の朝鮮支配を合理化する上で、一部少数の被差別階層として朝鮮人の蔑視政策が進められて行った。

日本の文化、伝統を守ることは大切なことだ。しかし、「日本の文化、伝統云々」と言っている輩が胡散臭い。そして、ここで言われている文化の内容が曖昧である。
 おそらく室町時代に完成された文化の諸様式を指していると思われるが、日本の文化を考える時、朝鮮からの文化の移入は無視できない。朝鮮の文化との対峙において日本の文化は考えるべきである。文化は相対的なものだ。日本の文化、日本の伝統を重んじることは他国の文化、他国の伝統を同じように重んじることである。日本の伝統云々と言う人々は何か自国の文化、伝統が他国に比べ優越していると錯覚しているように思える。そのようなところにも差別意識が醸成される温床があると考える。客観的な比較なく、自国の文化が優れていると思い込むのは異文化理解、国際感覚の欠如だ。日本の文化、伝統を大切にすることが、偏狭なナショナリズムに利用されているように思われる。

在日朝鮮人に対する意識は世代によって、随分と受け取り方が違うが、共通して言えることは日本人の朝鮮人差別に対する認識が不足している事である。祖国志向の一世、在日志向の二世、日本社会でどのように生きていくか模索する三、四世と在日朝鮮人の意識にも違いがみられるが、在日朝鮮人が差別の中で、どのように虐げられ、苦悩してきたかの認識が根本にあるべきだ。

在日朝鮮人差別は創氏改名、サンフランシスコ講和条約での国籍選択権を認めなかったこと、外国人登録法のあり方等を見ると、最初から差別的に作られている。日本社会の外国人に対する「同化政策」は日本人と平等を意味するものではなく、日本国家の枠の中で最低限に差別されたまま組み込んでいく。すべてが差別的に作られている。
 権力者に都合がよいように弱者が差別化されて行く。このような社会の構造的な差別をなくさない限り何事も解決しない。

移民に対する差別意識はどこの国、どこの社会にも存在する。「経済的に豊な国」と「貧しい国」。生活のため貧しい国から豊かな国へ労働力が流入する。いわゆる3Kと言われる下層労働に従事するところに差別意識、蔑視感が生じる。それら差別の根底には人間を人間と思わない考え方が存在する。今後とも日本社会へ外国人は流入して来る。労働力が必要ならば、研修生と言った、まやかし名目で受け入れるのではなく、法整備を行い、労働者として受け入れ、不安定な無権利状態に放置するのではなく、雇用等において法的な権利を与えるべきである。

日本社会の中で今後とも増大する移民を考えた時、国籍とか民族にこだわらず、すべての人が平等、公平に生きてゆける社会を構築する努力が必要である。それには「日本は単一民族国家である」と思い込んでいる、日本人の意識の変革が必要である。
「同化」ではなく他民族として相手の存在を認めた上で共に生きる社会の実現が大切であると認識する。

格差社会と言われ、日雇い派遣、非正規雇用が問題になっているが、これは権力によって人為的に作られた差別構造である。今後日本に流入してくる外国人労働者も差別という枠の中に組み込まれていく。これらの差別構造の温存は、国家主義を目論む権力者にとっては都合のいいものであろうが、いずれは日本人の自由、平等を制限し、精神生活を脅かし、国民生活に犠牲をもたらすようになると考える。


                                                             2008年7月20日