西欧近代デザインの展開ーバウハウスまで


「近代」デザインは19世紀末から20世紀初頭にかけて,ひとつの特徴を示すようにな
るが、その兆しは18世紀末のフランス革命の前後まで遡るものと思われる。
ひとつはフランスに現れたニコラ・ルドゥーやルイ・ブレの空想的建築の計画案や構想であり、いまひとつは技術の進歩が構造物の形態にどのような影響を与えたかという事に見られる。
 橋の建設にあたっては、鉄材を使う例は18世紀末にイギリスにおいて現れる。世界で最初の鉄の橋として有名である、コールブルックデール橋は、在来の石造りのアーチ構造を模倣しているのに対して、1801年に提案されたロンドンのテムズ橋は新しい技術で鉄材の構造上の特徴を生かした形態になっている。

 産業革命によって生産技術が飛躍的に進歩したが、19世紀前半期においては大衆の意識、趣向は保守的で手工業によって出来た形や模様をただ単に機械で巧みにまね、「高価らしく」見せるために前近代的な装飾過剰のデザインが好まれた。
 新しい材料や新しい構造にふさわしい「近代」的な形態が現れるのは橋、倉庫、工場、停留所と言ったもっぱら実用的でありさえすればよいと思われがちな技術的構造物であり、個人の芸術的趣味、装飾的趣向が反映される日用品の形態にまで及ぶようになるのは19世紀半ば以後のことである。

 近代デザインのの出発点にはウイリアム・モリスの業績が、いつも中心に据えられるが、モリスの批判の対象となったのは、産業革命が引き起こした愚かしい機械の時代であり、貧富の差が極端になった産業の時代である。手づくりにとって替わった安易な大量生産方式の痛烈な批判であり、日々の労働が創造の喜びに包まれていた中世の工芸を復興することであった。

 
1880年代に入るとモリスの真摯な姿勢に共鳴する世代が現れ、それらはひとつの潮流とみなされ広くアーツ・アンド・クラフト運動と呼ばれていった。
その運動の中からスコットランドにグラスゴー派が現れる。その中心人物のチャールズ・レニ・マッキントッシュは日常空間の刷新を目指し、テーブルや椅子はむろんのこと、照明器具からナイフ、フォーク、スプーンのすべてが美的な感覚で統一された総合的な空間をつくり出した。この頃から、やっと近代的なデザインの意識が民衆の中に芽生えだす。

 
20世紀に入ってデザインが生産者にとっても消費者にとっても重要な意味を持つものとして自覚されてくる。とりわけドイツでは芸術と産業の結合の動きが際立った動きとして注目され、1907年にドイツ製品の質の向上を目指すドイツ工作連盟が結成される。
1914年には多くの国々は第一次世界大戦に入ることになる。そして大戦後に迎えた1920年代は諸芸術の交流のなかで、それぞれの国の経済上、政治上の条件を反映し、ドイツのバウハウス、フランスのアールデコ、オランダのデ・スティル、ロシアの構成主義などの運動として展開して行く。

 
ドイツでは世界大戦の敗北のなかから、新時代建設の理想に向かい若い人々の創造的精神を鼓舞する新しい動きが始まってくる。それは建築家ワルター・グロピウスによって創設された新しい総合造形学校バウハウスの誕生である。
バウハウスは近代デザイン史の上でモリスからドイツ工作連盟にいたる精神をひきつぎながら、同時代の芸術思潮の中でも独自な意味を切り開いてゆくことになる。
それは芸術の側から、近代工業社会の文化が抱えている問題に最も自覚的に立ち向かい、芸術を社会との関わりの中で総合的に捉えてゆこうとするデザインの総合運動として、近代デザインの方法論の形成に多くの足跡を残す事となる。
その思想は広く世界に波及し、現代のデザイン、建築、造形教育に多大な影響を与えている。





参考文献:世界デザイン史 監修 阿倍公正 美術出版
  

                                      (1999年1月)