社会教育演習 文献発表

民族差別 日立就職差別糾弾』

                    法政大学文学部史学科 坂本正通

事件の概要

1970年8月在日二世の朴鐘碩(パク・チョンソク)さんは通称名、新井鐘司で日立製作所の入社試験を受け採用内定の通知を受けました。しかし、自分が朝鮮人であり戸籍謄本が提出できないことを電話連絡すると日立は採用を留保し朴さんを解雇しました。解雇されたことに納得できなく朴さんは1970年12月、日立製作所を相手に訴訟を起しました。
日立側は履歴書に通称名という虚偽の記載をしたということで争う姿勢をみせました。しかし裁判の過程で内定を取消した経緯や在日朝鮮人の雇用に閉鎖的な日本企業の体質と民族差別意識が浮き彫りにされました。裁判は4年後に横浜地裁にて「採用取消は民族的差別を理由にした不法なものである。合理的理由がなく民族的偏見に基づく就職差別は違法である」と判決がだされ全面勝訴しました。
裁判の途中で日立側から@不採用撤回、A賃金、慰謝料を支払との和解申し入れがありましたが、原告側は日立が「差別したこと自体」を認めていないことを理由に差別糾弾運動を続けました。
裁判を提起した当初、同胞からは、「@この運動に関係することは「同化」に加担することである、A朝鮮語1つ知ろうとせず、通称名をかき国籍を偽り、日本人に化け、大企業に入ろうとしたものが民族差別を糾弾するとは何事か」と厳しい批判を受けました。
朴さんは後日、この裁判は民族としての自分を取り戻す闘いであったと述べています。

(在日韓人歴史資料館資料より抜粋、一部改変)

書籍の構成

『民族差別 日立就職差別糾弾』、[朴君を囲む会編、亜紀書房]は第一部 民族差別と日本人と第二部 就職差別裁判により構成されている
第一部     民族差別と日本人 T「<座談会>日立糾弾のあゆみ」では @同化につながると主張する同胞側の対応の冷たさ、「A今まで日本人として生まれてきたのにどうしてここで自分は差別されるのか」と言った、民族の主体性(自覚)のない「同化」された典型的な朝鮮人だった朴さんが、在日朝鮮人としての民族性に目覚め、基本的な権利に目覚めていく過程が書かれている。
B日本社会には差別はないと主張していた日立がソウルでの日立製品の不買運動などを通して差別を認めた後でも、差別的な体質を変えることがない企業の狡猾な体質について語られ、この運動が多くの朝鮮人、日本人の支援・協力があったからこそ成功したと述べられている。

U「 朴君を囲む会この三年」では朴さんとの出会い、朴さんから日立との経過説明、裁判闘争の準備が書かれている。
 
V「就職差別糾弾闘争日誌」では闘争の経過が書かれ、
W「資料・日立就職差別糾弾闘争」では日立宛の抗議書、採用したにもかかわらず朝鮮人であることで解雇したことの経過が示されている。

第二部     就職差別裁判 T 「裁判の経過と判決の意味」では不当解雇の事実、裁判の経過、双方の主張と争点、判決とその意味について語られている。在日朝鮮人に対する就職差別が日本社会に現存し多くの日本企業が民族差別を繰り返した現実を裁判所が自ら認めた。

U 「弁護士だからーではなく」ではI弁護士が弁護を引き受けたいきさつ、裁判が進行していく中で朴さんがだんだん黙り込み、運動を支えている日本人に対する不信感と苛立ちが書かれ、そして他の在日朝鮮人がすさまじい差別に対して敢然として立ち上がり闘い続けている事実を知る中で朴さん自身がハングルを学び民族の魂を取り戻して朝鮮人として生きていこうと決意する様子が書かれている。

V 「差別と抑圧の底からー就職差別裁判最終準備書面―」では 

1・本件解雇が朝鮮人であることを理由とする民族差別であると主張
2 ・本件の事実経過
3 ・  原告が「日本名」と「出生地」を書いたのは何故か。(戦後日本名を名乗らな   いと生きていけなかった状況、日本名ではなく自然な名前、「自分の名前とし   て」意識されていた。)
4・朝鮮人渡航の歴史と背景
  日本の国家権力と社会が朝鮮人を日本人に作り変えた、戦後の民族教育に対す   る弾圧原告の置かれていた状況の歴史的、社会的背景、朝鮮人差別が生々しき描   かれている

W 「民族的自覚への道 ―就職差別裁判上申書―」
朴鐘硯本人が@自分の生い立ち、A日本人らしく教育される、B壁にとりまかれて、  C 問題の生徒になって、D進路のなやみ、E入社したい一心で、F訴訟を提起して、G現在の心境と、八項目にわたり生々しく自身のことについて述べている。

X「差別なき社会の手がかり−就職差別裁判判決(理由部分)―」では合理的な理由がないのに在日朝鮮人であることを理由に解雇したことは労基法3条、民法90条に反する不法行為であると判決が書かれている。

文献の内容抜粋

U 朴君を囲む会この3年
朴鐘碩との出会い
「横浜駅で、背のヒョロ長い朝鮮人に話しかけられ、協力を求められた。日立に就職差別されて裁判を起すと言っている」というのだ。(P59)
 日本人として生きてきたことを否定された怒り、朝鮮人として生きることへのとまどいと不安、両親への不満、まさに混沌とした彼の意識がそのまま「手記」に表現されていた。(P62)

<朴君を囲む会>の形成

「・・・日本人と全く同じ環境で育ち、労働能力も日本人と全く異ならず、あまつさえ原告は被告会社のような大企業に入社できたことを喜び・・・」という表現(現在は修正されている)が、全く「同化政策」的発想にもとづいていることは、(P64)  在日朝鮮人と語ったこともないのに、在日朝鮮人の生活を知識としてすら知らないのに、在日朝鮮人という言葉を発し、差別が具体的にどんな形をとって現れているのか知らないのに、差別はいけないと語る危険性 (P65) 
 
出入国管理法案が国会に上程され、在日朝鮮人に対する締めつけがますますきびしくなる折、反動化してくる現状にどう対応するのかは、非常に重要な緊急課題であり、裁判と平行して追求してゆかねばならないのではないだろうか。(P68)

<囲む会>の推移

不安だ。ぼくの関知できないところで運動や問題がどんどん大きくなっていく。 (P69)
「ぼくは在日朝鮮人として生きる」とかっこよく語る朴が、いまだに、日常生活で「新井」であることを即座に見ぬいていたのだ。同胞に鋭く突かれ、彼は、あらゆるところで「朴」と名のることへ踏みきる。(P70)
 差別した日立と、それに物申せない日立労働組合、さらには、この二つを支える日本社会の構造を具体的に変えてゆかない限り、問題は何一つ解決しない。(P70)
※(下線部、坂本)
 彼は民族の一員として生きるということの具体的な在り様がわからなかった。むしろいつまで続くかわからない裁判や自分の将来に不安を増し、動揺した。それは当然であったろう。(P71)
 「とにかく、裁判をやめるわけにはいかない。俺がやる。だから好きにやらせてくれ」と。彼は、弁護団と彼だけで裁判のやり方から全てを決めていきたいと提案をするに至った。(P72)

<囲む会>の沈滞
「裁判をやるのは俺自身のためだ。18年間日本人に化けて生きてきた自分の歴史をとりもどすためだ」と見事に言い切るところまで、急激に成長していった。(P73)
 個人的な模索はともかく、闘いの展望とダイナミズムのないところでの、前記のような作業(資金カンパ、会報作成等)は苦痛であり、時間的にも物理的にも非常な労力を必要とした。会の運動は硬直化し、分散化し、沈滞していった。(P75
※( )内加筆 

<囲む会>の再生
 裁判の中で突きだされた差別の現実を、当の日立と日本社会との関係の中で、具体的にどうつぶしてゆくのかきびしく問うていた。(P76)
 被差別者の側にとって、自らを差別する者に対して、闘い糾弾し抜いてゆく中にしか、生きのびる道はない。(P78)
 対面してきた差別の現実に依拠し、日立の行為が具体的に何をもたらし、何故殺人行為であるのかを一人一人のことばによって明らかにしてゆくことが要請されていたのである。(P79)
 やっと彼は朝鮮人同胞の元へ帰りつき、目に見えて明るくなり、生気をとりもどしていった。民族の一員としての自らの闘いに自信と誇りを持ち、彼は足を踏みだしていったのである。(P79)
 日立を敵としてケンカすることが最低限の課題とされた。(P79)

何が言われているのか

1・朴さんの心の動揺と成長
   いつまで続くかわからない裁判や自分の将来に対する不安と動揺。自分の関知  できないところで運動や問題がどんどん大きくなっていく、自分の裁判だから  好きにやらせてくれという朴さんの願い。民族の自覚のなかった朴さんが民族  性に目覚め、民族の一員として自らの闘いに自信と誇りを持つようになる過程
  
                                                      
2 ・日本人の意識                                               
   在日朝鮮人と語ったことがないのに、在日朝鮮人の生活を知らないのに、差別  の現実がどんな形を取っているか知らないのに、差別はいけないと語る危険性、  無意識の差別意識としてでてくる同化政策的発想。 ※(坂本自身の意識)

3 ・在日朝鮮人の新たな問題点
   日本で生まれ、日本で育ち、日本語や日本の風習しか知らず日本の「教育」し  か受けられず日本人化された、在日朝鮮人がかなりの数に達していることを、  まさに在日朝鮮人問題としてとらえなおさなければならない。

4 ・ 日本社会の構造の変革
   裁判の中で突き出された差別の現実を当の日立と日本社会の関係の中で具体的  にどうつぶしてゆくのか。差別した日立とそれに物申せぬ日立労働組合。さら  に、この2つを支える「日本社会の構造」を具体的に変えてゆかない限り問題  は何一つ解決しない。

どんな風に考えたのか
 
70年代初め、裁判闘争で、「民族的偏見に基づく就職差別は違法である」との全面勝訴を勝ちえたことに、司法の良心を感じる。
 「同化」日本人化させる日本人の意識、民族性を意識して他民族と認めた上で共生が必要。同化は日本人と平等を意味するものではなく、日本国家の枠の中に最低限に差別されたまま組み込んでいく、すべてが差別的に作られている。
権力者に都合がよいように弱者が差別化されて行く、社会の構造的な差別。
心ない差別により人の幸せを奪う権利が他者にあるのか。理不尽なことには諦めないで抵抗する姿勢の必要性。 
運動は支援、協力があって成功する。

何を話し合いたいのか
1・在日朝鮮人差別についての世代による意識の違い、若い世代の意識と活発な意見  が欲しい。
2・日本の社会の差別構造とは何か。現在の日本の雇用形態は権力が作った差別と坂  本は考えるが、皆さんはいかが考えるか。

是非読んで下さい 

第二部 就職差別 W民族的自覚への道―就職差別上申書 P237からP260まで。

現在、出版元にも在庫がない状況です。古書店で見つけたらすぐゲット、購入の価値アリ。
法政大学 市ヶ谷図書館 閉架式にあります。


                      2008年6月
13日





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