在日朝鮮人差別について

  大阪に生まれて育ったから、朝鮮人差別は幼い頃から身に沁みて感じていた。
1960年代後半、東京オリンピックが開催された頃であるが、朝鮮人を蔑む風潮は凄まじかった。当時の在日朝鮮人の生活は悲惨なもので、街の一角にゲットーのごとく朝鮮人部落が形成されていた。バラックが林立し衛生状態も劣悪で、とても人が住めるような環境ではなかった。日本の社会でいつ頃から、このような朝鮮人蔑視感が生じたのか考えてみたい。
 室町時代以降、日朝間は平和な関係を続けていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵により、これまでの両国の友好関係は崩れ去ってしまうが、江戸時代になって徳川家康は崩れ去った日朝関係を立て直し友好的な外交を重視する。歴代の徳川将軍は朝鮮と対等の友好国として交流を行っていた。明治政府になって「富国強兵」、「殖産興業」と言った国家目的が最重要視され、国民生活の犠牲のもと軍事、経済が優先される。それに伴い朝鮮人の侮蔑感が日本国民の中に植え付けられていく。
 幕末、欧米列強によって不平等条約を締結させられた日本は軍事力を強化し近隣諸国に対して武力でもって、国家主権を侵害していく。朝鮮に対しては日朝修好条規、日韓協定等の不平等条約を締結させ「日韓併合」をする。 日本の朝鮮支配を合理化するうえで、朝鮮人の蔑視政策は進められていった。 
 1970年代後半、韓国の朴政権の下での「反日教育」による韓国人の反日感情の凄まじさに反撥もしたものだが、明治以降、国家により「教育の場」やその他、あらゆる場において日本人に植え付けられた朝鮮人蔑視の政策こそが非難されるべきであろう。

 
明治時代以降、ギクシャクした日朝(日韓)関係が民間レベルでは改善されつつあるのに、日本国総理大臣の靖国神社参拝や島根県の「竹島の日」制定問題など、国家レベルで日朝関係をぶち壊している様に思える。むしろ、極右勢力によって、国家ナショナリズムを台頭させる目的で故意に両国間に軋轢を生じさせている。
「日韓併合は朝鮮人の合意により行われた」と歴史を歪曲させ、在日朝鮮人を主権国家の国民として認めない風潮があるが、それは、いずれ日本人の国民主権、基本的人権、自由平等を制限していくことを認識すべきである。

 
現在、「教育基本法」や「憲法」の改悪が論議されているが、国家ナショナリズムの台頭によって、国家目的のため国民の主権がないがしろにされた、戦前のようなファシズム国家に日本が変貌していくことが危惧される。

        2005年7月11日()


   文政2年漂着朝鮮人長崎送還経過(大嶋文書・他)概略

 大嶋文書は今から、186年前に鳥取の赤崎に漂着した朝鮮人達を長崎まで送り、朝鮮に送還した記録で、文面から、当時の日本と朝鮮の友好的な交流が読みとれる

1819年(文政2年)正月12日、午後2時すぎ伯鰭国八橋の沖合に異国船漂流、この日の晩方乗組員12名が八橋浦に漂着した。
 彼らは朝鮮国平海州の者で、干鰯を売るために正月7日に出船したが、冬の日本海の強風に遭い遭難したという。鳥取藩は漂着の次第を江戸藩邸に知らせ、藩邸から幕府に通知。漂着民を八橋から陸路、鳥取に移送する際の移送方法、付き添いや警備の人数、さらには付き添いの役人の衣服にいたるまで、移送の準備が進められた。
正月24日、異国人、鳥取の城下に到着、町会所を宿舎とする。裏判役所の管理下に置かれる。2月7日、鳥取藩の異国人長崎送還担当の使者として大嶋と奥田が任命された。江戸幕府は前例に従い長崎から故郷に返すように命じる。交通手段に関しては海路で送るように指令を伝達。
長崎までの漂着民の同行を命じられたのが、岡金右衛門、大嶋平右衛門、奥田鉄蔵、本木権左衛門の4名。それに、付き添いの医師、その他、警備員などを含めて41名が同行することになる。

4月8日の朝、異国人と諸役人一行、鳥取を出発。
安長の渡しまでは徒歩、川を渡ってからは駕籠に乗せられ青谷、赤崎、淀江を経由、11日境村到着した。
4月13日、船は蜘勇丸と幸要丸という藩所有の船二艘で境港から長崎へ航海。境村を出港して38日かけて5月23日に長崎に到着。その日の内に、長崎奉行御用達の役人がやってきて、引渡しの打ち合わせが行われた。
翌日、鳥取藩士の本木権左衛門が長崎奉行の元に出向き、次の日に朝鮮漂着民12名を引渡し、所持品の改めを受けるように指示された。また、対馬藩からは通訳を呼び漂着民に面会させた。
翌日、24日、長崎奉行の元で漂着民たちの取り調べが行われた。漂着民は朝鮮人に相違なく、他に仔細はないと確認されて、その結果、特段咎めだてすること事もないと判断され、無事、鳥取藩から対馬藩への漂着者引渡しが完了。5月30日、使者一行長崎を出発。

                                                   2005年7月11日(月)

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