「裁判を通して、都教委と議論を」から 都教委に異議あり!
「・・・都教委が何を考えているのか理解に苦しむ・・・」いい質問ですね。 都教委のねらいは、教育の国家統制です。戦前の天皇を神として崇拝する、「皇国史観」にもとづく教育の反省から、戦後、文部省は教育の国家統制を排除して民主化を計りました。1947年3月、教育基本法(旧)を公布して、「教育の目的は@個性の尊重、A人格の完成を目指すことである」と定めました。 1950年代後半から教育を国家統制のもとに置こうとする動きが強まり、文部省は学習指導要領が法的拘束力を持つと主張し、学習指導要領に基づく統一的な教育を行えと指示ました。 従来、都立高校ではすべての事が職員会議で討議され納得がいくまで議論し合意形成がなされていました。 石原慎太郎氏が都知事になってから都立学校が少しずつ変質してきました。学校改革の名のもとに進学重点校、中高一貫校、総合高校、エンカレッジスクール、チャレンジスクール、普通科コース制などが作られ、学校間に格差、差別が持ち込まれました。 一方、大量の夜間定時制高校が統廃合の名のもとに潰されました。 そして、個人が軽視され、国家にとっての人材育成を主とする国家主義が持ち込まれたかと思わせる事態が相次いで起こりました。 欺瞞としか言いようのない、ヤラセのミーティング、国会での強行採決による[教育基本法]が改悪され、そして学校教育法が改悪されました。教員免許更新制により、教員の自由な発言を抑え、処分をちらつかせ脅かすことにより教員の思想統制をはかろうとしています。 以前は職員会議が最高決議機関だったのが、補助機関とされ管理職を補佐する主幹制度が導入され、主任職で構成される企画調整会議によって物事が決められ、その結果、教員間の意志疎通がうまくなされず、教育の現場に混乱が生じてきました。 意見を述べても「ご意見として伺っておきます」の一言ですべてが終えられてしまいます。 石原都知事は、現行「改悪教育基本法」を先取りする形で「命がけで憲法を破る」と豪語し、「東京では既に教育基本法(旧)はない」と明言していました。 石原都政の国家主義、差別主義の最たる表れが「10・23通達」だと考えます。 それに先立ち、2004年1月、教職員の有志が、「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」いわゆる「予防訴訟」を東京地方裁判所に提訴し、2006年9月21日、東京地裁は「9・21難波判決」で「10・23通達は教育基本法(旧)10条に違反、教職員は思想良心の自由に基づき、むしろ拒否する自由を有している。国歌斉唱の義務なし、処分は不当で取り消せとの判決を出しました。 10・23通達は人間の人格を認めません。人はロボットではありません。 都立三鷹高校、元校長の土肥信雄先生は在職時代、「職員会議が補助機関になった事を喜んだと述べています」、しかし「職員会議での挙手や採決を禁じた都教委の通知は行き過ぎである」、「都教委のやっている事はおかしい」と批判し、都教委に対して公開討論を幾度も求めて来ましたが、都教委は一切応じる事はありませんでした。 都教委の「自分たちに異議を唱える人間を排除していく」、「一つの偏向した価値観を公教育の場で押しつける」これは民主主義の破壊である。 (2009年6月21日) |