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   「裁判を通して、都教委と議論を」から 都教委に異議あり!


                                 6月7日付け 朝日新聞記事


 「・・・都教委が何を考えているのか理解に苦しむ・・・」いい質問ですね。
僕も理解に苦しみます。都教委のやっていることは狂気としか思えません


都教委のねらいは、教育の国家統制です。戦前の天皇を神として崇拝する、「皇国史観」にもとづく教育の反省から、戦後、文部省は教育の国家統制を排除して民主化を計りました。1947年3月、教育基本法(旧)を公布して、「教育の目的は@個性の尊重、A人格の完成を目指すことである」と定めました。

1950年代後半から教育を国家統制のもとに置こうとする動きが強まり、文部省は学習指導要領が法的拘束力を持つと主張し、学習指導要領に基づく統一的な教育を行えと指示ました。
しかし、「旭川学力テスト裁判」最高裁で、学習指導要領は「大綱的基準」にしかすぎず、法的拘束力はないとの判決がだされました。

 従来、都立高校ではすべての事が職員会議で討議され納得がいくまで議論し合意形成がなされていました。
 教育の中味は教員みんなで話し合い、生徒の為を思って作って来ました。
教員間の人間関係も意見の違いがあれ、和やかな雰囲気でした。
教員と生徒との信頼関係をもとに生徒の意志を尊重する自由な教育が行われて来ました。

石原慎太郎氏が都知事になってから都立学校が少しずつ変質してきました。学校改革の名のもとに進学重点校、中高一貫校、総合高校、エンカレッジスクール、チャレンジスクール、普通科コース制などが作られ、学校間に格差、差別が持ち込まれました。

一方、大量の夜間定時制高校が統廃合の名のもとに潰されました。
都教委の示す方針に従う学校には予算を手厚く分配する差別主義が持ち込まれました。

そして、個人が軽視され、国家にとっての人材育成を主とする国家主義が持ち込まれたかと思わせる事態が相次いで起こりました。

欺瞞としか言いようのない、ヤラセのミーティング、国会での強行採決による[教育基本法]が改悪され、そして学校教育法が改悪されました。教員免許更新制により、教員の自由な発言を抑え、処分をちらつかせ脅かすことにより教員の思想統制をはかろうとしています。

以前は職員会議が最高決議機関だったのが、補助機関とされ管理職を補佐する主幹制度が導入され、主任職で構成される企画調整会議によって物事が決められ、その結果、教員間の意志疎通がうまくなされず、教育の現場に混乱が生じてきました。

意見を述べても「ご意見として伺っておきます」の一言ですべてが終えられてしまいます。
管理職に批判的な発言をすると、業績評価でC,D評価(無能力教員)をつけられ、昇給上の差別をされる。
学校経営上(経営であって教育ではない)、構想外と言うことで本人の意向を無視して強制的に他校へ異動させられる。何を言っても仕方がないと言った無力感が教員間に蔓延し、ゆとりの無い多忙な生活の中で教育内容が低下してきています。

 石原都知事は、現行「改悪教育基本法」を先取りする形で「命がけで憲法を破る」と豪語し、「東京では既に教育基本法(旧)はない」と明言していました。
 2003年(平成15)10月23日付の「10・23通達」により「、卒、入学式において国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ。違反者は服務上の処分する」との通達をだしました。翌年(2004年3月)の卒業式では、教職員の座席が決められ、都教委から監視の役人が各校2名ずつ配置される異常な状況で卒業式が行われました。

石原都政の国家主義、差別主義の最たる表れが「10・23通達」だと考えます。
教育が教育現場の実情を知る現場の教員集団の合意形成でなされていたものが、行政の強制力により教育内容が画一的に決定され、現場に押しつけられる、これは民主主義に根差した教育の破壊としか言いようが無いと考えます。
 通達は憲法19条(思想良心の自由)、教育基本法10条に違反している、そのような違憲、違法な通達には従えないとの想いから、都立高校だけで171名の教職員が起立せず、戒告処分を受け、再雇用職員は解雇されました。

それに先立ち、2004年1月、教職員の有志が、「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟」いわゆる「予防訴訟」を東京地方裁判所に提訴し、2006年9月21日、東京地裁は「9・21難波判決」で「10・23通達は教育基本法(旧)10条に違反、教職員は思想良心の自由に基づき、むしろ拒否する自由を有している。国歌斉唱の義務なし、処分は不当で取り消せとの判決を出しました。

しかし、都教委はこの判決を全く無視し、各校長に「従来通りの職務命令をだすように」指示、処分を繰り返してきました。そして「通達」以降の処分者は総数423名に達する異常な状況が続いています。

 10・23通達は人間の人格を認めません。人はロボットではありません。
おのおの頭脳を持ち、心を持ち、精神を持っています。一人一人が人格を持った人間なのです。人間の個性や価値観を認めない、「起立しなければ処分する」それも連帯責任を押しつけてくる、このような個人の思想や良心を踏みにじるような通達はとうてい納得出来るものではありません

都立三鷹高校、元校長の土肥信雄先生は在職時代、「職員会議が補助機関になった事を喜んだと述べています」、しかし「職員会議での挙手や採決を禁じた都教委の通知は行き過ぎである」、「都教委のやっている事はおかしい」と批判し、都教委に対して公開討論を幾度も求めて来ましたが、都教委は一切応じる事はありませんでした。

 60歳定年退職制の実施にともない、労使の取り決めで65歳までは、生き甲斐の創出と生活安定のため再雇用が認められていましたが、今回、土肥元校長が非常勤職員に応募したにも関わらず不合格となりました。国歌斉唱時の不起立者は在職時の勤務成績にかかわらず再雇用を拒否されたり解雇され、その多くが現在、裁判に訴えています。土肥信雄先生は都教委が言うところの服務事故を一切起こしていません、にもかかわらず採用を拒否されました。「裁判の過程で都教委と議論をしたい」と述べられる、土肥先生の本意がこの言葉に表れていると思います。

都教委の「自分たちに異議を唱える人間を排除していく」、「一つの偏向した価値観を公教育の場で押しつける」これは民主主義の破壊である。
そのことが問題であると考えます。



                                       (2009年6月21日)