日々雑感


                                                       2005年10月15日(土)

 もう随分と昔の話になるが、NKHが受信料の不払い者を簡易裁判所に提訴をすると言ったニュースを聞いた。
 さすがNHK、優秀な顧問弁護士を抱えている。ここで言う「優秀」とは狡猾で悪知恵が働くと言った意味であるが。確かに、NHKと受信料契約を取り交わしている以上、「不払い」は契約不履行で許されるものではない。「金払え、払わないと差し押さえるぞ」と言った類の、ヤクザの脅しに似た催促状を受け取っても仕方がない。
 しかし契約は、民法にも規定されているように、双方の合意にのみ基づいて成立するものである。一方が嫌だと言ったら契約は成立しない。だから受信料契約さえ取り交わしていないなら、支払いの義務は存在しない。不払い者はNHKに対して受信料契約の解除を通告した上で不払いをすべきである。それが正しい不払いの方法である。私企業であるNHKに対して、どのような名目であれ、、何らの金品を供与する義務は国民にはない。そのことをNHK自身が知っているからこそ、受信料契約拒否者に対して受信料の徴収、催促を過去35年以来行ってこなかった。
 NHKと言った私企業が裁判所という公共の機関を利用して、受信料の不払い者に対する催促状の送付を行うことにより、受信料徴収が「あたかも法的に正当である」と錯覚させる点が問題である。今回のNHKの処置が狡猾で悪知恵が働くと、最初に述べた所以である。
 いまだに簡易裁判所から催促状を受け取ったと言った話は聞かない。もしNHKが不払者の増大に業を煮やして「最後の手段として」簡易裁判所に催促状の送付の提訴をすると言ったことが、ただのポーズであるなら、NHKの欺瞞に満ちた態度は許されるものではない。

                                                        2005年8月18日(木)

 インターネツトって確かに便利だ。40年前に読み損ねた、さして有名でない人の「随筆集」を古書店サイトで見つけることが出来たり、音信不通になっていた昔の知己の消息が分かったりする。
 調べ物があって、あいにく手元に資料がなかったので、手っ取り早く、検索サイトで調べてみると、驚いた事に自分が知りたい内容が、そのまま論文として発表されていた。専門外の分野なので専門用語が十分理解出来ず読んでみても内容がさっぱり分からなかった。ただ、出典が何処にも記入されておらず不審に思ったので 、部分的にしろ引用は遠慮した。やはり論文の体裁を取っている以上、参考文献、引用文献は記入するのが論文の書き手としての良識であろう。
 古代中国では、まだ印刷術が未発達だった頃、「写す」ことを戒めた。「写し間違い」があるだろうし、写し間違いによって勝手な解釈が生じることを危惧したからだ。それで摺拓が発達した。文字が陰刻された石碑はテキストや図像を複製するには恰好の手段であった。「何事も足さず、何事も引かず」、原典に忠実であろうとする、古代中国の知識人の精神は見習うべきであろう。
 使い手の意識の問題であろうが、インターネットの限界も知って利用すべきだろう。昔から他人の文章をつぎはぎする事を、「ノリとハサミ」と揶揄したものだが、デジタル、カンニングとでも呼ぼうか、ネツト上の文章を拝借するのは質が悪い。自分の脳細胞を刺激することなく、文章が借用出来るからだ。自ら考えなくなる、その点、昔の「ノリとハサミ」とは一線を画する。

                                     関連レポート

                                                 2005年7月18日(月) 

 枝川の「東京朝鮮初級学校」が立ち退きを求められていることは、ニュースで聞いたことがあったが、まさか東京都が裁判所に立ち退きの,「提訴」までするとは思わなかった。どこまで東京都の行政は幼稚で姑息で卑劣なのだろう。
 1936年、オリンピックが東京市で開催されると決まったのを契機に、深川の朝鮮人集落に住んでいた1000人以上の朝鮮人が江東区枝川の、当時ゴミ捨て場だった、枝川埋立地に強制移住させられた。粗末なバラック小屋で排水設備もなく、雨が降れば共同便所の汚水が溢れる、衛生状態も劣悪な環境であった。
 戦後、枝川は「都有地」になるが東京都はここを「放置」した。下水道、都市ガス、衛生環境の向上など、本来行政がなすべき管理業務を一切行わなかった。朝鮮人たちが自分たちの費用と力で住宅環境を改善し、自分たちの力で「朝鮮人学校」を設立したことを忘れてはいけない。 確かに、拉致問題が解決しないことに対する苛立ちは分かる、北朝鮮の独裁国家に対する日本人の批判も理解できる。しかし、北朝鮮の独裁国家のあり方と在日朝鮮人とは何の関係もないことを認識すべきだ。むしろ、日本の社会で様々な、差別や侮蔑を受けながら、貧しく、惨めな暮らしを余儀なくさせられた、在日朝鮮人の存在を日本人は考えなければいけない。
 北朝鮮に対する日本人の批判をもとに、在日朝鮮人をいたぶり続けても、支持こそされ批判はされないだろうと言う、石原の貧困な思惑が読みとれる。「強い者には逆らわず弱い者はとことん、いたぶり続ける」石原都政の手法そのものが、この問題に見えてくる。
 立ち退きを迫られている土地は学校という「教育の場」なのだ。朝鮮人が朝鮮人として自分たちの民族の教育を行う「場」は相手の国家を主権国家として認める限り、最大限、保証されるべきである。日本社会が急激に右傾化していく中で、弱者がどんどん切り捨てられている。その急先鋒を担う石原都政に怒りをもって,「NO」と言うべきだ

関連レポート

                                                          2005年7月6日(水) 

 『Pen』って雑誌、ご存知ですか。建築、インテリア、グラフィック、プロダクトデザインと広範囲にわたり毎号、特集を組んでいて結構おもしろくて楽しめる。浅く広くデザインの知識が得られるので、これからデザインの勉強をしたい人には見聞を広める意味で勧めている。定価もワンコイン(500円)と手頃だ。
 今から2年程前になるが、2003年のNo,106号で『ヴィトラ・デザイン美術館の挑戦』という特集を組んでいた。
興味深く感じたので、早速、ドイツへ飛んだ。ベルリンに着いてベルリン市内の交通地図を調べてみたがヴァイル・アム・ラインという駅は何処にも見当たらない、仕方なくホテルのフロントで聞いてみると鉄道で7時間ぐらいかかる、スイス国境近くの街であると教えてくれた。トーマスクックのヨーロッパ鉄道地図で調べてみたが、ドイツ国内にヴァイル・アム・ライン駅は見いだせなかった。結局、日程の関係もありヴィトラ・デザイン美術館へは行くことが出来なかった。
 帰国後、「腹の虫」が治まらないので、出版元のTBSブルタニカへ電話で問い合わせてみた。驚いたことに、編集責任者がヴァイル・アム・ラインの所在地すら分かっていなかった。誌面で「ドイツ取材を敢行した」と明言しているのに。恐らく、デスクで企画を立てたら外部のライターやカメラマンに仕事を丸投げしているのであろう。「見てきたように嘘を言う」とはこんな事を言うのだろう。お粗末な出版界の裏側を見せつけられた思いであった。せめて、このような特集を組むなら編集責任者たる者は現地へ行って、「自分の眼で見て」、「自分の頭で考え」、「自分の感性」で編集してこそ、プロの仕事と言えるのではあるまいか。今でも、『Pen』を、これからデザインを勉強したい初心者には勧めているが、私自身は「この薄ぺらい雑誌」を店頭でペラペラめくるだけで、ワンコインは別の用途に使っている。



                       コラムに戻る            トップに戻る